次は戦場で会いましょう

かんがえたことを書き記す。

6月 予兆

仕事が落ち着いてきたので、更新を再開します。

5月に、上司に相談できない苦悩が積もり、6月になっても己を責め続けていました。

 

上司に声をかける、そんな簡単なことが、何故出来ないのかと。何故、声が出ないのかと。

この時の「何故」は、原因を探るための「何故」ではありません。自分自身を傷付けるための「何故」です。「出来ないなんて、最低だ」の「何故」です。

この時期、一度上司に呼び出されていました。「仕事自体はよく出来てるんだけど、勤務態度が良くないね」と言われました。前回も書いた通り、話し掛けられなくて固まっていたのが、サボっているように見えたそうです。

 

そして、6月の後半。朝、出勤してきて、いつも通りに自分のデスクに座ろうとしました。

自分のデスクを見た瞬間、PCを見た瞬間、目眩がしました。吐き気がこみ上げました。慌ててお手洗いに行って、そこからはあまり記憶が無いのですが、自分でかなり混乱していたと記憶しています。

どうして?と自問する余裕もなく、わたしは上司に「気分が悪いので帰ります」と申請しました。上司も、顔色が悪いから休んで、と言ってくださいました。

 

流石にデスクを見て気持ち悪くなったのは異常だと、その日の帰りに考えていました。けれど、精神病かの確信は得れません。偶然精神状態が悪いだけかも、とも思ったりしていました。

 

一応、念の為に言っておくと、ここまで、いわゆるブラック企業のような側面は職場にありません。

定時に出勤し、定時に帰ります。怒鳴られることもなければ、無理強いされることもありません。理不尽もありませんでした。

 

ただ。今思うと、ひとつ、引っ掛かることがあります。

職場は、いわゆる身内ノリが強いところでした。ひとりの意見に全員が賛同しないと、という雰囲気がありました。その中でも、わたしの上司だった人は、基本的に気を遣う良い人でしたけれど。

ひとつ。オタクに対して偏見を抱いている人でした。特に女オタクや腐女子に、嘲る目を向けている人でした。

いつも賑わっている場所だったので、世間話は耐えません。ゲームの話もしていましたが、たまに、腐女子を笑う発言がありました。

わたしのツイッターをご存知の人はよく知っていると思いますが、わたしは腐女子です。女オタクです。

上司に対して、怒りはありません。ただ、この人に自分を見せてはいけない、と、思ってしまいました。きっと嘲笑われるだろうと。小さな世界にその嘲る視線が広まって……と考えると、怖くなりました。実際、自分を抜きにしても、高校生のような上下関係があったところだったので。

 

そういう意味でも、自分をひた隠すのに必死になっていたところはあったな、と今は感じます。そして、それを、「社会人はこういうもの」と誤魔化していました。

自分を隠していて当たり前。自分を見せなくて当たり前。自分を押し込んで当たり前。

家でも会社でも、そうして過ごしていました。当たり前のことなので、愚痴を言うこともありません。

 

……さて、ここからは、実を言うと休職するまで記憶が薄いです。もう病が始まっていたからだと思いますが。8、9、10月はまとめて投稿したいと思います。

イナズマイレブンGOギャラクシーのはなし

今期からアレスも始まりましたし、イナズマ界がかなり賑わってきているように感じます。わたしも深夜枠で見ています。万作くんがかわいい。

せっかくなので、いつもの備忘録はちょっとおやすみして、わたしが一番好きなイナズマイレブンの話をしようと思います。

イナズマイレブンの事をよく知らない人にも分かるように説明すると、イナズマイレブン(以下イナイレ)は「円堂世代」「天馬世代」と分かれており、現在放映中のアレスは「円堂世代のパラレルワールド」です。

円堂世代は中学二年生GKキャプテン、円堂守が主人公。天馬世代は中学一年生MFキャプテン、松風天馬が主人公。かつ天馬世代は、円堂世代の10年後という設定です。「イナズマイレブン」「イナズマイレブンGO」とタイトルが違いますね。あと「無印」「GO」とか言われたりもします。

わたしが好きなのは天馬世代の「イナズマイレブンGOギャラクシー(以下イナギャラ)」です。イナイレは大体一年周期でストーリーがガラッと変わるのですが、イナギャラは天馬世代の最終作で、「ギャラクシー」の名の通り宇宙でサッカーしたりします。

 

はい。宇宙でサッカーです。某超次元テニスは演出でコスモが広がってたりしていましたが、これは比喩でもありません。

「宇宙でサッカー」だけだと「は?何それ超次元乙」で離れていく人もいると思います。

加えてイナギャラは、メインとなるサッカーチームに、今までの主要キャラが三人しかいません。二年間前シリーズまでで培ってきた思い出はほとんど蚊帳の外です。そして今まで試合でメインになってきたシステムもほぼさようなら。システムもキャラクターもほとんど新規。

三作目とは謳っていますが実質一作目です(?)。わたしも最初にキービジュアルを見た時はオイオイ何してるんだこれと思わずにはいられませんでした。イナイレクラスタはキャラクターファン色が濃いところもあるので、わたしのTLは結構荒れていたのを覚えています。まだ若かったのもあっただろうけど。

 

さて、そんなイナギャラですが、具体的にどんな所が好きなのかじっくり語っていこうと思います。せっかくのブログなのでこういう活用もしなくては……。

ここからは好母ひおり個人の感想、意見になります。あしからず。

 

おおよそはこちら。

・キャラクターの掘り下げが好き

・各キャラクター達の性格その他の「立ち方」が好き

・ぶっ飛びながらも突き詰めると王道路線を通っているストーリーが好き

 

という事で、順番に。

・キャラクターの掘り下げが好き

これは、「掘り下げ方」と言っても良いです。

イナイレは大抵、主人公が学校に行き、学校、部活での生活が描かれるので、基本的に主要キャラのプライベートを描く事は少ないです。家が出てきたとしても、家庭内の問題だとかはあまり出てきませんでした。無印だと豪炎寺と鬼道さん、GOだと剣城くらいかな……?神童さんも確か家なら出てきた。

その家庭内事情が出てくるのは中盤〜後半である事が多いです。ある程度キャラクターを知ったところでお家に行ったり、家族が出てきたり、ということが多かったのですが、イナギャラはそこが異なります。

 

イナギャラの主要キャラは11人中8人が初登場になりますが、各キャラクターの主役回がそれぞれ用意されています。

初登場のキャラクターは各々サッカーとはまったく関係の無い分野で生きてきて、事情があって日本代表(建前)に加わっているのですが、その事情が序盤でしっかりと明かされるんですよ。8人分しっかりと。

ここが、わたしがイナギャラに惹かれたきっかけでもあります。ここまでキャラクターひとりひとりを描写するの、結構珍しいと思ったんですよ。

初登場のキャラクターばかりでうーんってなってたのが、ここで一気に吹き飛びました。おお、面白いじゃないか、イナギャラ!

 

・各キャラクター達の性格その他の「立ち方」が好き

そしてここに繋がります。

掘り下げられるに連れて分かることですが、初登場のキャラクター達はサッカーではないジャンルのプロフェッショナルが集まっています。

陸上、ボクシング、バスケ、新体操、数学、人間観察……。あと九坂くんの不良頭とこのはちゃんの芯が強い優しさでしょうか。後々歌舞伎も加わりますね。

各々目標やら叶えたい願い事のために集まっていて、後になってこのメンバーは「ソウル」という隠された力が秘められていたことが発覚します。

 

イナギャラがリアルタイムで放送してた時、こんなツイートをちょくちょく見ました。

「結局イナギャラって、才能が全てだから好きじゃない。前に出てきたキャラクターはあんなにサッカーが好きなのに才能がないってだけで出れなくて可哀想。サッカーが好きって気持ちで努力が実る前の方が良いな〜」

いやいや、いやいやいや、待ってください!!!

これ、もう4年くらい前から流れてきてた言葉なんですけど、当時からめちゃめちゃ引っかかってたんですよ!!今ならその違和感の正体がわかります。

 

イナギャラの新規メンバーの中で、「才能もあって好きって気持ちもあるのに決して実らなくなってしまった」子がひとりいるんですよ。

ボクシングが命だった鉄角真くんです。

ひたすらボクシングに打ち込んで、体力作りをしている時もシャドーボクシングを欠かさないような子です。けれど、怪我をしてボクシングが出来ない身体になってしまいました。

好きって気持ちもある。才能もある。それでも怪我のひとつで続けられなくなる。

スポーツ選手の恐ろしい落とし穴です。実際、鉄角くんの初登場時は、言葉の端々が尖っていて近寄り難い雰囲気を出しています。本当はみんなを励ましてくれるムードメーカーで、男らしく、明るい男の子なのに。

才能がすべてだなんてとんでもない。むしろイナギャラは「才能がすべてではない」ということを教えてくれる作品です。

 

たとえ才能があったとしても、いくら目標があったとしても、体験したことのないジャンルに飛び込んで、しかも日本代表として頑張っていくのは並のメンタルでは無理です。

それでも、新規メンバー達は、少しずつこんなことを言っていくんです。

「サッカーって楽しいじゃん!」と。

知らないことを好きになっていく。興味のなかったことに楽しみを見出していく。これ、イナギャラの最高の魅力だと思っています。

思い出してください。彼らはサッカーとは関係のない、プロフェッショナルの人間達です。

プロフェッショナルってどういう事かというと、努力の大切さを知っているんですよ。

練習の大切さを知っている人達です。地道な積み重ねの大切さを知っている人達です。それはジャンルのまったく違う土地、畑が変わろうと、何も変わりません。

 

わたし、推しが井吹宗正くんなんですけど、彼が好きになったのもそういう所がきっかけだったんです。

新設日本代表は、たくさんの観客が見守る大々的な練習試合で、無様な姿と大敗を晒しました。大ブーイングの嵐を受けます。

その夜、今までの主要キャラだった三人は、素人を入れるなんてどういう事だと監督に抗議をしに行きます。その場所に、井吹くんが練習をしに訪れるんです。

この時ボロクソに叩いてた神童さんに言いたい事は山ほどどころか富士山ほどあるんですけど、この際それは飲み込みます。中学二年生だもんねそういうこともあるよね。ねー。

どんな大敗だとしても、負けたから、もっと努力する。知らないジャンルだからって諦めずに、黙って練習して一人前になろうとする。スポーツ選手としてこれほど適正持った人もそういないですよ。ただ井吹くんの場合は人と練習することを知らなかったので、かなり不器用な形になってはいますけど……。

ここで井吹くんを好きになりました。きっとバスケでもそうやって上手くなっていったのだと思いました。

井吹くんは悔しさをバネにするタイプで、ひたすらシュートを受け止める練習をしていました。ゲームでは、自分の蹴ったボールをひとりで受け止めていたような描写もあります。

「もうやーめた」なんて絶対に言わない。絶対に見返してやる。絶対に諦めない。ズブの素人だと言われても、決して諦めなかった。それに負い目を見せず、ひたすら自分の出来ることに打ち込んだ。自分に出来ることを。自分が身に付けているスキルを生かして。

 

めちゃくちゃ魅力的だと思いません!??!!!??わたしは思いました。とても思いました。誤解されやすいけど、根は本当に真面目なんですよ彼。ツイッターではものすごいいじられてたけど。

 

あと、イナギャラという物語の華やかさに一役かってるキャラクターがいるんですよ。

彼がいるから、イナギャラはここまで面白い話に出来たのではないかと思っています。何より、「サッカーが好きな少年」という設定を付けてしまっては一気に魅力が損なわれるようなキャラで、イナギャラでしか実現出来なかった人だと思います。

 

誰かというと、皆帆和人くんです。

彼の事を未だにイナイレ界のダークホースだと思っています。シリーズ通しても彼のような切れ者はいません。

皆帆くんは、人間観察が好きで、警察官を目指している男の子です。CVは代永翼です。皆帆くんの代永すごく好きなんだよな!!

それで、彼、鋭い故に、そしてまだ中一と幼い故に、思いもよらない作戦を立てては周りを驚かせるシーン、仲間に核心を突きつけるシーンなど、「中一のサッカー好きな男の子」という設定では成し遂げられない事の数々を飄々と達成しているんです。

今までイナイレで突拍子もない作戦と言うと、監督が訳の分からない事を言い出す→半信半疑でみんなやる→すごい!好転した!監督、スゲー!な流れが一般的だったんですよ。

それがイナギャラでは皆帆くんになります(全部ではないけど)。うわっ皆帆何やってるんだと言われながらも、自分の観察能力を信じるままにフィールドを駆け抜けます。この自由度がダークホースです。サザナーラ戦とか際立っていました。

多分イナギャラのダークホースと言うと、瞬木隼人くんが真っ先に挙げられそうです。彼は彼で色々抱えていましたが、イナギャラの物語に華を添えていたのは皆帆くんだったのではないかと。カリスマ性とはまた別の問題で、「何をしても皆帆だからと納得できる」みたいなところがあるんですよ。

万人に愛されるようなキャラクターではないけど、間違いなく「良いキャラしてる」と言えますね。シリアスもギャグも優等生でした。

 

・ぶっ飛びながらも突き詰めると王道路線を通っているストーリーが好き

イナギャラは登場人物の大半が宇宙人です。宇宙でサッカーするので。

けれど、やっぱり根っこは王道の熱血系漫画なんですよ。

・集められた仲間達と絆を深めて強い相手と戦う

・苦しくても今までやってきた練習が応えてくれる

素人と周りから罵られながらも、初登場メンバー8人は必死に練習して強くなりました。ふえ〜なんですかこれ><と弱気になる眼鏡男とかはいましたけど、わたしの記憶では、メンバーがサッカーに興味が出てからは練習をサボったりするシーンは見当たらなかったと記憶しています。

彼らは勝負のプロフェッショナルだったからではないでしょうか。わたしはそう思っています。

イナギャラは20話前後で話の方向性が全然違うものにシフトしていくんですけど、わたしはサッカーを練習して好きになっていく過程が好きなので、前半を見返すことが多いです。

そして今作は今まで以上に監督が使い物にならないので、メンバーみんなで乗り越えていく感じが良かったですね。ひとりの圧倒的なカリスマ性と言うよりは、皆が協力し合って助け合っていく。

そういうの好きなんですよ。何故かと言うと、ひとりのリーダーがすべてを賄うには限界があるじゃないですか。人と人の相性もあります。どんなに実力が優れた人間でも、見る人が変われば下らないと笑われたりします。

イナギャラは、そのあたりがとても巧妙だったと思います。悩んでいる人に一番寄り添える人間がカバーを出していたりします。

そんな仲間と共に過ごした後、イナギャラのメンバーは各々の生活に帰っていきます。サッカーはこれきり、という人もいれば、サッカーまだ続けるよ、という人もいます。

これもまた良い!!

イナギャラは他のシリーズより「キャラを際立たせる」という点では本当に特出していると思っています。皆が同じ考え方をしない、選ぶ道はひとつじゃない、助ける人はひとりじゃない。

それでもみんな前を向いていく。出来ないと笑われたことも諦めずに向かっていく。

 

長くなりましたが、イナズマイレブンGOギャラクシーの面白さは、色んなジャンルから優れた人間を集めることによって、個性豊かなストーリーが展開されるということなのではないでしょうか。

そして、優れているというのは、才能があることじゃない。強いて言うなら、努力をする才能がある人達が優れていると言える。

そんな熱い物語こそ、わたしが一番好きなイナズマイレブンです。

5月 言えない苦悩

初めから、本能的に「合わない」と感じていたのではないかと、今は考えたりします。

 

仕事内容自体は、苦ではありませんでした。電話のやり方にあまり慣れていなかったくらいで、そこに不満はありません。

お昼は直々に教えてくれる上司と、同じ会社から派遣されてる先輩とランチに行っていました。面倒だとは思いませんでしたし、むしろ一緒にごはんを食べるのは好きな人間だったので。

 

「フレンドリーで優しい職場」と聞いていましたが、その通りでした。お仕事中、特に問い合わせがなければ、日常のことだったり、趣味のことだったりを話したりして、和やかな雰囲気は流れていたと思います。

ただ、その雰囲気は、6月頃になってようやく訪れました。

5月、わたしは、その職場の一番の繁忙期に入ってきてしまったのです。2年に1度、2ヶ月もないくらいの、一番忙しい時期です。

わたしはそこで扱うソフトの勉強をしていて、「分からないところがあったら何でも聞いて」と直属の上司に言われていました。よくある流れではないかと思います。

しかし、その繁忙期の様子を横目で見ていて、わたしは腰が引けてしまいました。上司のデスクはすぐ横にありますが、デスクトップPCで顔もよく見えません。何をやっているか分からないけど、忙しそうに見えます。

話しかけたら電話が来ました。逆に、雑用を頼まれてしまいました。

そんな生活が二週間。「不満はない」と思っていました。社会人とはこれくらい忙しいものなんだなあ、と感じていたくらいです。

 

けれど、ひとつ、この時点で致命的な事が生まれてしまいました。上司に教えてもらいたくてもなかなか言えなくなってしまったのです。

わたしは昔から考え過ぎる悪いくせがありました。「ここで話しかけても良いものか」「ここで話しかけても迷惑にはならないものか」「暇そうかどうか、大丈夫か」ありとあらゆる心配がどんどん募っていき、頭がオーバーヒートしそうになっていました。

傍から見たらただただ固まって、何もしてない人です。

怒られた訳ではありません。「ちょっと待ってね、これが終わったらね」と言われて自分の事を後回しにされていただけです。……けれど、その時、わたしは「今忙しかったんだな、自分の配慮が足りなかったな」と思ってしまったのです。

配慮を考えて考えて話しかけられなくなってしまっては、本末転倒も良い所でした。

5月の終わり、何回か「大丈夫?困ったら言ってね」と念押しをされました。わたしは「すみません」と謝ることしか出来ませんでした。オーバーヒートして固まってる様子を見て話しかけられたのかと思いますが、ここまで来るとタイミングのことを考えすぎて勉強にも身が入りません。

いかんせん隣の人の顔が分からないというのが、わたしにとってはずっと、これからも苦しめられました。

 

当時のわたしは、教えてくれる人に迷惑をかけることは悪だと考えていました。迷惑をかけないように、相手に気を遣わせないように、こちらが気を遣わなくてはと、必死になっていました。

わたしに勉強を教えてくれる当時の上司は、わたしに対してとても気をつかってくださっていました。それが手に取るように分かるので、かえって辛くなっていました。

この時点で悪循環は始まっているのですが、それに気付かぬまま、6月を迎えることになります。

4月

入社式、初日、至って順調でした。

同期との仲も良好で、上司とも程々の距離を保って接し、1ヶ月に1度の勉強会にも精力的に参加していました。

今でもよくお世話になる主任さんに、勉強会でこう言われたのを覚えてます。

 

「好母さんは文系だけど、この業種向いてないとかは全然ない。長いこと人に教えてきてて、ダメな人はもう駆け出しの今の時点でダメだって分かるけど、好母さんは大丈夫だよ。一年間頑張ろう」

 

これ、めちゃくちゃ元気出ました。と言うのも、この褒め言葉、新社会人として不安だった私からしたら完璧だったんですよ。

「ちゃんとやっていけるのか」という漠然とした不安に、向こうの長い経験で体感したことを語ってくれた上で「大丈夫」と言ってくれる、この頼もしさったらないですよ!しかも内心思うだけでなく、こちらにしっかり伝えてくれる。上記は省略してますけど、実際はもっとしっかり説明してくれて、良い人だと感動しました。

とにかく不安だった私は、周りの「大丈夫大丈夫」「好母さん、文系だけどいけると思うよ」という言葉に支えられ、ますます自信が付いていきました。

 

ここでちょっと誤算が。弊社、詳しく言うのは避けますが、客先でのお仕事が主だったのです。入るまで知りませんでした。今就活してる皆、企業研究はしっかりやろう。

 

今いる職場で仕事をしない、ということで更に不安がありましたが、そんな不安になっている暇もなく。

なんと客先でのお仕事依頼が、好母ひおりに。

 

会社に入って二週間経たず、私は、業種の勉強をする間もなく、面接の練習に時間を割くことになりました。

理系の同期を差し置いて、自分が仕事を一番に貰ってしまいました。

とても驚き戸惑いましたが、これはチャンスだ、と私は意気込みました。これで頑張ってお仕事をこなして、同期に追い付いていくぞと、やる気に満ち溢れていました。

幸運にもお仕事内容は、電話対応が主でした。まだ勉強が追いついてない身でも、最低限やることは出来るだろうと喜んでいました。

 

面接は、綿密に重ねた練習の甲斐もあり、滞りなく行われました。緊張したものの、育まれていた自信のおかげもあり、しっかりと受け答えする事が出来ました。

4月の終わり、正式にお仕事が決まり、私はGW明けから新しい所に行くことになりました。

私はとにかくドキドキしながらGWを過ごします。

あの駅、どうやって行くっけな、調べとこ。初めてでも大丈夫だって言ってたけど、緊張するなあ。社会人なんだから、しっかりお仕事しないと。

 

そんな事を思っていたGWの中日くらいでした。

休みの日だというのに、主任さんから電話が。何か私やらかしたっけ!?と思いながらも、慌てて電話に出ました。

主任さんは至って冷静でした。もしもし、休みなのにすみません、と言ってきたので、はい、と返しました。

 

「急な話なんですけど、Sさんが亡くなりました。取り急ぎお伝えしておきます」

 

え?と思った以外、この時の記憶、あまりありません。

好母さん以外の新人の連絡先知らないから広めておいて、と言われたのは覚えています。

電話を切ってから、しばらく呆然としていました。入社するまでにマンツーマンで教えて貰った記憶がふわふわしていました。

泣きもしませんでしたし、悲しみでご飯が喉を……という事も一切ありませんでした。Sさん亡くなったんだって、と家族に話す時も、自分は冷静っぽかったと記憶しています。

 

ただ、お世話になったから、1回くらい手を合わせておきたかったなとぼんやり考えていました。

この会社で働くきっかけになった人が、ずっと自分の上司のままでいるとは思っていませんでした。異動もあるかもしれない、退職もあるかもしれない。その辺りは覚悟の上でした。

でも、まさか死んでしまうとはまったく、考えてもいませんでした。会社で思いを馳せようにもGW明けからは新しい環境です。

 

気を取り直して、Sさんが最後に送り出してくれたんだから、新しいところで仕事を頑張ろう、と思いました。

……今思うと、これがいけませんでした。頑張ろうが強くなりすぎたと思います。亡くなったのは偶然であって、それで片意地になる必要は何もありません。

そして何より、困った時に帰る場所がなくなってしまいました。そんな状態のまま、私は5月のGW明けを迎え、面接の時Sさんと二人で歩いた道を、ひとりで向かうことになりました。

就活の時期

私は、就活を始めるのがものすごく遅かったです。というか、興味が沸きませんでした。今でも学生さんと話をする機会がありますが、企業研究とかしてる子を見ると、素直にすごいなあと感心します。

就活当時、私は夏くらいにまともに腰を上げました。

私は文字を書くのは好きだったので、友人のエントリーシートを書く手伝いもよくしていましたが、自分の就活はギリギリまでサッパリでした。今思えば馬鹿だなあと思います。心底。あいつの自己アピール考えてスカイプでアドバイスしてる暇があったらお前の自己アピールを聞け、一年半前の私。

 

面接は、最初は苦手でした。

知らない人に自分をアピールする、という感覚が、まったく掴めませんでした。私は五社くらい落ちて六社目でゴールインでしたが、そのうちの二社は完全にしどろもどろでした。よくあるコミュ障のあれです。

自信が付いたのは、小説を書くのが得意、とエントリーシートに書き始めた時からです。人間とは不思議なもので、流石に人生を捧げた執筆活動をアピールすると、面接する時に自信が付きました。好きなものってアピールして良いんだ、と思ったのを覚えています。結構当たり前のことを忘れていたみたいです。

小説のことを書けば良いじゃん、とアドバイスしてくれたツイッターの友には、今も頭が上がらないです。ありがとう。

 

そうして入った御社。まったく知らない、研究もしてない、バリバリ文系だったのにバリバリ理系の職種の会社でした。

今でも覚えています。面接をしてくれたのは、恰幅が良くてお相撲さんみたいな上司でした。面接の時、文系の自分にもチャンスはあると言ってくれました(他の理系の会社は君には関係ないねと軒並みスルーだった)。

この上司の下だったら働けるかもしれない、と思いました。私は給料も休みもあんまり考えてなくて、会社の雰囲気と人の雰囲気を一番大事にしていました。今でもこの会社に入ったことに悔いはありません。

11月、ギリギリ内定を貰えました。あまりにもギリギリだったので、内定式にも出ていません。同期と初めて顔を合わせたのは、ちょくちょく開催された会社の勉強会でした。

 

自信を持っていた私は、にこやかに堂々と話すことが出来たので、そのお相撲さんみたいな上司(以下Sさん)にコミュニケーション能力を買われた……らしいです。今では実感が沸きませんが、Sさんの目にはそう映ったみたいです。

私は内定を貰い、すぐに勉強会に出ました。同期が理系だったので、私はSさんとマンツーマンであれやこれやと知識を教わりました。

Sさんは真面目だけどもひょうきんな人でもあったので、ちょくちょく話が脱線しては、関係ない話で一時間潰れることはザラにありました。私はSさんの話が結構好きだったので、勉強会が終わって同期がさっさと帰る中、Sさんの話に付き合っていたりもしました。今思えば、そういうところが買われたのかも。

 

社会人になるにあたり、不安はありました。親からは「もう社会人になるんだから、あんたもしっかりしなさい」と口を酸っぱくして言われました。

この時は、しっかり頑張ろう、社会人なんだから、と自分に言い聞かせ、暗示をかけていました。新しい環境、新しい勉強、数式や英語が飛び交う業種にまずは慣れようと。

今思うと。もう少し肩から力を抜けば良かった、と感じます。そして、しっかり頑張ることは、失敗をしないことではないのだと、当時の自分に言いたいです。

失敗しても良いし、良く見られなくたって良いから、とりあえず隣の人に話しかける勇気を持て。他人のことは考えすぎるな。

今ならそう声をかけるだろうなあ。暗示をかけてたって、何も進みはしないんだから。

はじめに

ブログを立ち上げてみました。

元々長文を書くのが好きで、ツイッターの140字だと足りないことも多々あったので、こっちのが性に合ってるような気がします。

とは言いつつ、このブログを立ち上げたのには一応理由があります。

 

一番の理由は、「自分の体験をはっきりと見れる形で記録に残しておきたかったから」です。

この一年間、社会人になって一年目、私は貴重な体験をしたと思います。ただ、人前に立って堂々と語れるかと言われると、そうではありません。

この体験は「失敗体験」と呼べるものでした。社会人になって一年目、私はどうしようもないくらい「ダメ」になりました。

記憶力が極端に悪くなり、電車にいるだけで涙が出るようになりました。食事に味がなくなり、好きなジャンルにもアイドルにも興味がなくなり、何とかして己を取り繕うとしましたが、結局メンタルを病んでしまいました。

 

会社が悪かったのか?と思いました。それもあります。後々話しますが、私の職場はブラックではありませんでした。ただ、相性が悪かったのです。

運が悪かったのか?と思いました。それもあります。ある意味、私はドラマティックな展開を今年一年味わいました。ブログに書こうと思ったのも、このある意味ドラマティックな展開は残した方が良いなと思ったからです。

自分が悪かったのか?と思いました。当時は何とか「自分が悪い」を逃がして精神の安定を測ることに必死でしたが、今なら自分も悪かったと思うことが出来ます。

 

「病み備忘録」と称していますが、私はこの備忘録を、至って前向きな気持ちで書こうと思います。

暇な時にでも、少しずつ綴っていこうとおもいます。忘れないうちに。

誰に語るでもないとりとめのない話ですが、暇な時にでも覗いてくださるとありがたいです。