次は戦場で会いましょう

病み備忘録 最初に「はじめに」お読みください

4月

入社式、初日、至って順調でした。

同期との仲も良好で、上司とも程々の距離を保って接し、1ヶ月に1度の勉強会にも精力的に参加していました。

今でもよくお世話になる主任さんに、勉強会でこう言われたのを覚えてます。

 

「好母さんは文系だけど、この業種向いてないとかは全然ない。長いこと人に教えてきてて、ダメな人はもう駆け出しの今の時点でダメだって分かるけど、好母さんは大丈夫だよ。一年間頑張ろう」

 

これ、めちゃくちゃ元気出ました。と言うのも、この褒め言葉、新社会人として不安だった私からしたら完璧だったんですよ。

「ちゃんとやっていけるのか」という漠然とした不安に、向こうの長い経験で体感したことを語ってくれた上で「大丈夫」と言ってくれる、この頼もしさったらないですよ!しかも内心思うだけでなく、こちらにしっかり伝えてくれる。上記は省略してますけど、実際はもっとしっかり説明してくれて、良い人だと感動しました。

とにかく不安だった私は、周りの「大丈夫大丈夫」「好母さん、文系だけどいけると思うよ」という言葉に支えられ、ますます自信が付いていきました。

 

ここでちょっと誤算が。弊社、詳しく言うのは避けますが、客先でのお仕事が主だったのです。入るまで知りませんでした。今就活してる皆、企業研究はしっかりやろう。

 

今いる職場で仕事をしない、ということで更に不安がありましたが、そんな不安になっている暇もなく。

なんと客先でのお仕事依頼が、好母ひおりに。

 

会社に入って二週間経たず、私は、業種の勉強をする間もなく、面接の練習に時間を割くことになりました。

理系の同期を差し置いて、自分が仕事を一番に貰ってしまいました。

とても驚き戸惑いましたが、これはチャンスだ、と私は意気込みました。これで頑張ってお仕事をこなして、同期に追い付いていくぞと、やる気に満ち溢れていました。

幸運にもお仕事内容は、電話対応が主でした。まだ勉強が追いついてない身でも、最低限やることは出来るだろうと喜んでいました。

 

面接は、綿密に重ねた練習の甲斐もあり、滞りなく行われました。緊張したものの、育まれていた自信のおかげもあり、しっかりと受け答えする事が出来ました。

4月の終わり、正式にお仕事が決まり、私はGW明けから新しい所に行くことになりました。

私はとにかくドキドキしながらGWを過ごします。

あの駅、どうやって行くっけな、調べとこ。初めてでも大丈夫だって言ってたけど、緊張するなあ。社会人なんだから、しっかりお仕事しないと。

 

そんな事を思っていたGWの中日くらいでした。

休みの日だというのに、主任さんから電話が。何か私やらかしたっけ!?と思いながらも、慌てて電話に出ました。

主任さんは至って冷静でした。もしもし、休みなのにすみません、と言ってきたので、はい、と返しました。

 

「急な話なんですけど、Sさんが亡くなりました。取り急ぎお伝えしておきます」

 

え?と思った以外、この時の記憶、あまりありません。

好母さん以外の新人の連絡先知らないから広めておいて、と言われたのは覚えています。

電話を切ってから、しばらく呆然としていました。入社するまでにマンツーマンで教えて貰った記憶がふわふわしていました。

泣きもしませんでしたし、悲しみでご飯が喉を……という事も一切ありませんでした。Sさん亡くなったんだって、と家族に話す時も、自分は冷静っぽかったと記憶しています。

 

ただ、お世話になったから、1回くらい手を合わせておきたかったなとぼんやり考えていました。

この会社で働くきっかけになった人が、ずっと自分の上司のままでいるとは思っていませんでした。異動もあるかもしれない、退職もあるかもしれない。その辺りは覚悟の上でした。

でも、まさか死んでしまうとはまったく、考えてもいませんでした。会社で思いを馳せようにもGW明けからは新しい環境です。

 

気を取り直して、Sさんが最後に送り出してくれたんだから、新しいところで仕事を頑張ろう、と思いました。

……今思うと、これがいけませんでした。頑張ろうが強くなりすぎたと思います。亡くなったのは偶然であって、それで片意地になる必要は何もありません。

そして何より、困った時に帰る場所がなくなってしまいました。そんな状態のまま、私は5月のGW明けを迎え、面接の時Sさんと二人で歩いた道を、ひとりで向かうことになりました。