第一回 アルジュナさんとカルナさんのはなし
ツイッターではもうたっぷりしたアルジュナさんの話ですが、今日はある一点に集中して、アルジュナさんとカルナさんの関係を考えてみようと思います。
ぶっちゃけFGOのいわゆるインド兄弟に興味が無い人にはとてもつまらない記事になると思いますが、元々好きでやってるブログなので、そこはご了承ください。
ちなみに、今回の記事を書くのに参考にしたのは、「FGO体験クエストアルジュナ&カルナ」「FGOメインストーリー5章」「FGOメインストーリー終局」「FGOマイルーム会話」「FGO幕間の物語アルジュナ2」「エクステラリンク」が主です。これらの直接的なネタバレは書きませんが、一部セリフを引用します(テラリンは控えめにしています)。ご注意ください。
さて。そもそも何故この記事を書くのに至ったかと言うと、「アルジュナはカルナを理解している」という旨のツイートを見たからです。
これを見た時、わたしは首を傾げました。既にテラリンはプレイしていましたが、そう思った記憶もありません(八割あの熱いシーンに持ってかれたのもあり)。しかしテラリン発売後、そのようなツイートが各所でよく見られました。
認識が間違っているのは自分なのかもしれない。そう思い、二日程かけて、もう一度アルジュナさんとカルナさんの会話を、思い付く限り回収しました(今回はFGOのイベントは除きました)。もう一度見つめ、読み砕きました。
今回は、その二日間の研究とも言える行為のまとめとも言えます。長い記事になりますが、お付き合いしてくださると嬉しいです。
念の為、アルジュナさんとカルナさんについてを、簡単にここに記します。
アルジュナさんとカルナさんは、「マハーバーラタ」に出てくる登場人物です。
マハーバーラタは他にも多くの人物が登場しますが、アルジュナさんはその中でもあらゆる武器を授かり、その力でことごとく敵を打ち倒した英雄です。そのアルジュナさんと物語の終盤までライバルの立ち位置であったのがカルナさんです。
アルジュナさんは知りませんが(型月ではどうなのか不明瞭)、二人は異父兄弟。カルナさんは産まれた時に母クンティーに捨てられ、御者の息子として育ち、類まれなる運命によりアルジュナさんと敵対します。
……というのは、恐らくFGOのマテリアルを見ればおおよそは分かることではないでしょうか。この記事では、もう少し視点を変えて、二人の性質に関係のあるところにまで突っ込みます。
マハーバーラタは、運命の物語です。
戦士として生まれたからには誇り高く生き、御者として生まれたからには御者として生きていく。一度神から掛けられた呪いは、どうあっても解く事は出来ない。根が弱虫でも、王子として生まれたからには、国を守るために戦わなくてはならない。そんな世界です。
そんな世界の中で、カルナさんは御者の息子から実力で戦士に成り上がった、いわば身分制度を打ち破る希望の光でした。彼にとって立場とは、変えられる、打ち破れるものです。
アルジュナさんは、戦士として生まれ、戦士として愛され、誇り高く武器を携えて兄弟と共に生きた英雄でした。彼にとって立場とは、不変なる、絶対的なものです。
この二点が、二人を語る上でとても大事になってきます。片隅に置いておいてください。
では、本題です。
「アルジュナはカルナを理解しているのか?」
いえ、しかし待ってください。その前に、ひとつ考えることがあるのでは。
「アルジュナは他人を理解する人間なのか?」
この質問、カルナさんに置き換えると、これ以上なく簡単です。カルナさんはアルジュナさんに限らず、他人のあらゆる事を見抜き、暴き、反感を買われる程です。
アルジュナさんはどうでしょう。彼は、人の何を見ているのでしょうか。
アルジュナさんは基本的に、カルナさん以外のサーヴァントとの絡みはありません。幕間の物語も、今のところはすべて「彼の自己完結の物語」でした。そして、彼が登場する時、いつも己の事を語ります。
「私のこの想いは」「私を見ないでください」「このアルジュナ」「この憎悪と妬みは」
おそらく九割アルジュナさんの口から出ているのは己の事です。しかし、この文章を読む人の中で、このような人もいると思います。
「カルナの事はよく言っているのでは?」
わたしも最初はそう思っていました。カルナさんとの敵対がキャラクターとしておいしいポイントでもあるアルジュナさんは、カルナさんのことはよく言っているはず。
アルジュナさんはカルナさんの事をこう言っています。
「カルナ、私はおまえが憎い、そして羨ましいよ」
「私にとって、カルナこそ宿命の敵」
「あの男はきっと、正しい存在なのでしょう。人を正しく人だと認識し、その身を全て善行に捧げるような英雄なのでしょう」
これと、テラリンでもひとつ言及しています。「私の知るカルナは」と。
…………実は、アルジュナさんがカルナさんに対して「おまえはこういう男」だと言っているのは、本当にこれくらいしかありません。しかも、一つ目に関しては己の感情の吐露です。
正しき英雄。正しき男。善なる者。
そんな、ふんわりしたことしか理解していないのです。実は。テラリンでも例外はありません。「善なる英雄」以上の事を、アルジュナさんの口から語られた事は、実はないのです。
逆に。カルナさんからアルジュナさんへ、語られた事はとても多いです。「己を誤魔化すな」と、導きとも取れる言葉を送った事もあります。
「インド兄弟はお互いにお互いを理解し合っている」と聞いて感じる最大の違和感は、そこにあるのです。
アルジュナさんは、カルナさんの事だけを考えているのではありません。とんでもない。むしろ、自分の事しか考えていない。否、自分の事しか考えられない、と言った方が正しいでしょう。
彼は常に自分が最上のサーヴァントだという意識を持って振舞っています。そうすると、他に目を配る余裕はほとんどありません。あったとしても、それは正しいか、正しくないかで判断する。
この「正しい」「正しくない」の問いは、マハーバーラタでも頻繁に描かれた事です。この行為は戦士として正しいのか。この行為は正しき道を生きようとしてる者に相応しい行為なのか。
アルジュナさんの基準はそこにあります。その枠に当てはめ、正しくない事を恥とする。
それをしている限り、真の意味で他人を理解する事は出来ません。己の行動すらも枠にはめている時点で、彼は他人を理解する事など出来ないのです。
何故ならば。その時点で、己というフィルターを通して見ることになってしまう。そして、アルジュナさんは、ただでさえ「己」が強い人です。
「その傲慢さこそがおまえの真価だ」とカルナさんも言っていました。
強く己を持ち続け、正しく在ろうとする。わたしは、アルジュナさんというキャラクターの最大の魅力は、そこにあると思っています。
己を律し続け、在るべき姿で在ろうとする。大英雄の名を汚さないように。初めは己を晒すことに恥を感じていたが、マスターと出会い、恥を恐れないと決めた。
その魅力は、「他人を理解する」というフィールドでは、途端に欠点となってしまうのです。己を強く持ち過ぎるあまり、他人を見る事が出来ない。
これは、カルナさんの「他人を見抜く、理解する目がある」という魅力が、「心の中を暴き過ぎて相手に嫌われる」と裏目に出てしまうのと同じ事です。
そしてアルジュナさんの他人を理解出来ない要因はもうひとつ。彼が人を、己を、立場で見てしまう事にあります。
紹介動画で出ているのでそのまま載せますが、テラリンで「軍師として当然の義務です」と口にするシーンがあります。
初めに言いましたが、アルジュナさんは、戦士としての誇りを、英雄としての義務を第一に生きてきました。それが第二の生でも続いています。〇〇として、とまず第一に立場を取ります。それもひとつのフィルターです。変わらない絶対的なものと思ってるが故に、優先させているのでしょう。カルナさんと敵対する時も、「敵として」「対等な者として」「貴様が善につくのなら私は悪につく」「あの男が光なら私は闇になる」と、毎回正反対の位置に居ることを気にしています。
その証拠に、何者でもなくなった体験クエストでは、アルジュナさんは虚無に包まれています。立場なくしては、生きる気力もないような。そしてカルナさんを妬み羨む、本人曰く醜い感情こそ、アルジュナさんを生かすのです。カルナさんへの理解など、関係なく。
……そもそも、「一人の方が気楽で良い」とマイルームで語るような人が、他人を理解する気になるはずがなかったのかもしれません。
さて。ついでなので、もうひとつ、ここに書いておきたい事があります。記事としてはここで一区切り付くので、ここで終わっていただいても構いません。
今、FGO界隈は男と男の憎悪ブームで沸き立っています。詳しくは言いませんが。その枠のひとつとして、アルジュナさんとカルナさんが取り上げられる事がしばしばあります。
アルジュナさんが、カルナさんに殺意を持つ者として。愛憎、と言われたりしているのも見た事があります。そしてカルナさんは、それを受け入れる者として。
ではここで、ひとつ考えたいと思います。
「そもそも、アルジュナさんはカルナさんに殺意を抱いているのか?」
「あの男は私が殺す系サーヴァント」と言われているのも見た事があります。実際にそうアルジュナさんが言ってるシーンもあります。
「そもそも、何故『私が殺さ』なければならないのか?」
そして、もうひとつ。
「カルナさんは何故受け入れているのか?」
アルジュナさんとカルナさんが好きな人間として、この三点は、今、ここで書いておこうと思いました。と言うのも、この三点をはっきりさせることで、「殺し殺される関係」「お互いに殺し合わなければいけない関係」と誤解されがちの兄弟の関係性を明確に出来るからです。
「そもそも、アルジュナさんはカルナさんに殺意を抱いているのか?」
アルジュナさんは先程つらつらと書いた通り、基本的には自分の事しか考えていません。それなのに、カルナさんにだけ異様な妬み、憧れ等の感情を抱いています。その理由に関しては、仮説はありますが、今回は割愛します。
問題は、「アルジュナさんがカルナさんに勝負を仕掛けるのは、その感情によるものなのか」という話です。
その感情に、妬みに、憧れに駆られるがままに殺そうとしているのならば、憎悪による殺意と言っても良いでしょう。今話題の彼(怖いので敢えて名前は伏せます)との共通点も見えます。
しかし。そうすると、気になる所が多々あります。
ひとつ。感情に駆られているにしては、手段と立場にこだわり過ぎている。
アルジュナさんはカルナさんと戦う時、「お互いに全力を出すか」「お互いに敵同士の立場であるか」を、どの作品でも毎回確認しています。ただ殺したいのならば、手段なんてどうでも良いはずですし、確実に殺したいのなら全力を確認するまでもありません。
それなのに、毎回確認している。そして、5章でカルナさんと向き合った時、アルジュナさんはこう叫んでいます。
「今度こそ対等のものとして、貴様の息の根を止めねばならん!」
ふたつ。「殺す」ではなく「殺さなくてはならない」という言葉。
「カルナは私の宿敵です。サーヴァントとして、幾度と無く刃を交えねばならない」
幕間2でのアルジュナさんの言葉です。アルジュナさんは度々、「貴様は殺さなくてはならない」という意味合いの言葉を叫んでいます。
それが運命だと。それがサーヴァントとしての在るべき姿であり、アルジュナとしての在るべき姿でもあると。
重要なのは、「ならない」という言葉です。そうしなければいけない。そうしなくてはならない。「したい」のではない。アルジュナさんの、心からの思いではないのです。
「殺す。殺したい」ではない。「殺す。殺さなくてならない」。
これ、すごく大切だと思っています。
本当に、アルジュナさんはカルナさんを殺すことを、望んでいるのでしょうか。望んでいるとしても、何故なのでしょうか。衝動的なものでなければ、感情的なものでなければ、「殺さなくてはならない」理由は、何なのか。
「そもそも、何故『私が殺さ』なくてはならないのか?」
理由だけなら、いくつか思い付きます。「おまえは私だけが倒せるくらい強いのだから」とか、「私に倒されるくらいでなければ張合いがない」とか、「私以外に倒される姿を見たくない」とか。
今までの事をまとめると、アルジュナさんには、「お互いに全力で」「誰にも邪魔されることなく」「卑怯な手を使うことなく」「敵で、かつ対等な立場で」カルナさんと決着を付けたい理由があります。上記の理由は、どれも当てはまりません。わざわざそうする必要がないからです。
「すべてを万全にした状態で」戦わなければならないのです。万全にならない状態ならば、敵意を抑えて協力する程です。それほどまでに、アルジュナさんにはこだわりがあります。
強い者と、強いライバルと、正々堂々勝負がしたいから?
いえ。そうなると、「殺さなくてはならない」という物は必要にはなってきません。戦うだけなら、勝負するだけなら、いつでも出来ます。生死のこだわりは必要ありません。
「殺さなくてはならない」のです。万全な状態で、正々堂々と、カルナの首を取らなくてはならない。
それは、カルナさんの為でしょうか。自分の為でしょうか。今までの流れでいけば、自分の為でしょう。カルナさんの為になる事は今のところ一つもありません。
自分の為に、万全の状態で、首を取らなくてはならない。殺されるリスクを犯してまで、全力の勝負を、しなければならない。したいのではない。しなければならない。
何故?
ここまで突き詰めれば、理由は浮かんでくると思います。
生前、卑怯な手でカルナを討った己を、己の罪を、塗り替えたいから――というのが妥当でしょうか。
敵で。卑怯な手を使わず。正々堂々と。「殺さなくてはならない」。そうしないといけない。そうしないと、英雄としての汚点は永遠に晴らされない。
マハーバーラタで、彼は、正確には彼を含めた兄弟は、敵に卑怯者と罵られました。カルナさんを殺した時とは別の場面ですが、戦士として恥ずべきことをしてしまったと、心から後悔しました。その一方で、動けない状態になりながらも堂々と死んでいったカルナさん。どれ程アルジュナさんの目には眩しく見えた事でしょう。
第二の生があるならばやり直したい。あの瞬間を。あの時を。あの汚点を。
5章で、「だからこそ貴様を殺す事を聖杯への望みとした」とアルジュナさんは語っています。
呪いも、宿命も、神もいない。正々堂々とした勝負が出来るからこそ、今こそ、己の業を塗り替えるのだと。
……そんな己の罪への理由ならば、「殺したい」でないことにも説明が付きます。
あの瞬間を塗り替えたいだけ。あの罪を、あの恥を塗り替えたいだけ。塗り替えなければアルジュナで居られないだけ。
ただそれだけのために、もう一度、死んで欲しい訳でもないカルナさんを殺すのですから。
「カルナさんは何故受け入れているのか?」
アルジュナさんがカルナさんを殺したい理由が己の罪を晴らしたいが為ならば、何故カルナさんはそれを受け入れているのでしょうか。彼に利はないはずなのに。
と、その前に言っておきますと、「受け入れる」とは、「言うことをきく」ではありません。
終局でカルナさんは、このような事を言っています。
「オレとて聖人ではない。憎まれれば憤りを感じる事もある」
カルナさんはあらゆる事をそれもありと受け入れますが、それはそれとして、彼自身の思いもあります。その辺りはしっかりしている人です。
その上で、受け入れている。それは何故か、と考えたいと思います。
ここでひとつ気になることがあります。
上のカルナさんの言葉は、謙虚でもなく真実だろうと考えています。その上で、カルナさんはアルジュナさんに対して、憤っていません。
おまえが羨ましい、妬ましい、この憎悪を、とアルジュナさんが言いながらも。むしろ、戦士としての健全な戦いを提案してくれています。
ここから先は推測が多くなりますが、わたしの考えをここに書きます。
アルジュナさんが、英雄としてではなく、「アルジュナ」として行動する事を、感情を抱くことを、カルナさんは望んでいたのではないでしょうか。
体験クエストにて、カルナさんは「オレの目的など小さいものだ」と言いながらも、マスターにアルジュナさんを「導いてやってくれ」と託していきます。その結果が「アルジュナ」としての道を見つけた幕間2だとすると、カルナさんの方にもそのような望みはあったのではないでしょうか。
「アルジュナ」として第二の生を生き、「アルジュナ」を誤魔化さなくとも、並び立つ事は出来る。終局のカルナさんはそのような事を語っています。
以上の事から、カルナさんはアルジュナさんを殺したいとは思っていないと考えます。そもそも彼が無用な殺害を望むとは思っていませんが……。テラリンでも宿業を憂うような発言をしていました。
※
そうなると、完全にこの関係性はアルジュナさんの一方通行になっています。それでもカルナさんは応えます。全力を持って、死を覚悟して。
※
カルナさんはきっと、アルジュナさんが、そうしなければ生きられないと知っていたのではないかと考えています。「全力を持って対等な立場で貴様を殺さなくてはならない」と叫ぶ彼に対して、戦いを放棄することなど、手を抜く事など、戦士としても、きっと兄弟の縁としても出来なかった。
何故なら、それでこの戦いは無意味だとでも言ってしまえば、アルジュナさんは今までの流れでいくと、完全に第二の生を生きる目的を見失います。
対等な立場で勝負をする事こそ、戦士としての誇りを奪い合うからこそ、アルジュナは生きることが出来る。体験クエストはまさにそのような流れでした。
※
カルナさんは勝負を約束しながら、アルジュナさんを生かしている。だからこそ、そのひとりよがりの勝負をも受け入れている。
こうして書いてみると、カルナさんがどれほど思慮深いか感じる事が出来ます。わたしの推測も多いですが、しかし。
「正しく生きようと願う者がいるかぎり、オレは彼等を庇護し続ける」
5章のカルナさんの言葉です。テラリンにも似たような言葉が出てたと記憶しています。
――正しく生きようと願う者。
正しい英雄で在ろうとするアルジュナさんも、カルナさんにとっては、正しく生きようと願う者なのではないでしょうか。
※
そして、アルジュナさんと全力で戦い、たとえ殺されたとしても――カルナさんは、それを誇りに思って微笑むのです。
正しき戦士と戦えた事を。それを幸運だと思いながら。
何が言いたいのかと言うと。
アルジュナさんもカルナさんも、心から相手の殺害を望んではいない。
そして、アルジュナさんが己の罪を受け入れることが出来たのなら、殺し合う必要はなくなる。
アルジュナさんとカルナさんは、「殺し合う関係性」とは言いきれない。という話です。
以上で、記事は終わりです。
この記事でアルジュナさんとカルナさんの関係性が伝わってくれたらなあと思いながら、締めにしたいと思います。
ここまで長い文章お読みくださり、ありがとうございました。
※追記※
※の間にある言葉について、カルナさんのことを掘り下げながら考察してみた記事で、意見が変化しています。
https://musicbell17.hatenablog.com/entry/2018/07/20/003252
最終的な結論は変わりませんが、よろしければこちらもお読みください。