10月 決定的な日
さていくつか記事を書いてきましたが、わたしは正直自分が病んでいく様子を書きたくてこのブログを始めたのではありません。どうやって自分を立ち直らせていったのかを書きたいのです。
なので、もう率直に、何故病んだのかを言います。
・周りからの監視の目が怖かった
・職場環境と合わなかった
・自分を思い詰め過ぎた
大きくはこの三つだと思います。
このすべて、自分の状態が悪くなるまで、自覚はありませんでした。むしろ、「自分は定時で帰れるし、大きく怒られもしてないし、恵まれている」と思っていました。ツイッターで流れてくるブラック企業にも当てはまらないし、大丈夫だろうと。
そう思っているうちに、「仕事は出来るけどサボっている好母ひおり」を何とかしようと、周りの行動は変わっていきます。
まず、わたしだけに日報を書かせるようになりました。何をどれほどの時間をかけてやっているのかを書くように言われました。この時のわたしは元気がなかったので、どうしてやるのですか?と聞くことは出来ませんでした。
次に、やっている業務について、テストをすることになりました。これもわたしだけの特別メニューです。わたしだけがやる事が、どんどん募っていきました。
流石にこれだけやられたならば、いくら鈍感な自分でも、信用されていない事は分かります。信用されない行動を起こしたのはわたしだったのかもしれませんが、何より怖かったのは、それでも表面上はにこにこと仲の良い職場を装っていることでした。
わたし自身、一番苦手なことでした。
腹に黒い何かを抱えながら顔を笑わせるのは。それを感じる事も、見る事も。
それを感じてしまった時から、完全に職場を信用できなくなってしまいました。耐え切れなくて電車の中で迷惑をかけないようコソコソ泣いて、最寄り駅に座り込んで泣きながら信用出来る友達に電話したのを今でも覚えています。今でも思い出すだけで涙が出そうです。
表面上は笑顔だけれど、その裏で、厳しい監視の目を向けられている。その恐怖で仕事が進むはずもありませんでした。悪い方に悪い方に転がっています。
席を外す時も、自分がいない間に悪口を言われているのではないかと、気が休まりません。(そういう職場だったので……)
決定的だったのは、そのテストが悪かった日です。テストを作った人に呼び出され、こう言われました。
「このテスト、好母さんのために作ってるんだよね。こうでもしないと勉強しないから」
……こうでもしないと勉強しない。ああ、そんなに信用されてなかったのか。そういう人間だと、思われていたのか。努力もしなければ、監視しなければ何も出来ない人間だと思われていたのか。
この瞬間、自分の中の全部が一気に崩れ去りました。目の前が真っ暗になったとはこの事を言うのだなと、今でも思っています。覚えているのは、その後に届け物をする時です。
既に何回も行っているフロアに郵便物を届けるだけだったのですが。その道が、思い出せないのです。エレベーターに乗ってボタンを押す時、あれ、確か、何階だっけ、としばらく迷いました。
明らかに自分の身体がおかしいことに気付きました。例えばキーボードで文字を打つ時、指が動く感覚はあるのですが、何を打っているのか頭に入ってこないのです。電話対応をしている時、口が動き声は出るけれど、何を話しているか自分で把握出来ない。自分が話しているのに。
おかしい。これはおかしい。これは危険だ。
わたしは慌てて、その日の仕事帰りに、会社にいる、5月から変わった次長に電話をしました。
その次長さんが、今日に至るまで本当にお世話になった方です。
当時、9月に面談をした時、快活な話し方とズバズバした物言いに好感を感じていたので、相談した方が良い、この人には相談出来るだろうと判断しました。
「すみません、ご相談したい事があるんですけど」
「良いよ。いつにする?」
思えば、久しぶりに、人に安心して相談などしたような気がします。
「明日は難しいので、明後日で……」
翌日はなんとか堪えながら仕事をしました。この日を耐えれば相談出来ると、それだけを希望に何とか踏ん張りました。
翌日の業後、会社に相談をしに行きました。記憶力がないこと、電車や通勤時に勝手に泣いてしまうこと、などなど、今起こっている自分の身をすべて告白しました。
「俺じゃ判断出来ないから、お医者さんに行ってきな」
この判断は冷静だな、と思いました。もっともです。
「ていうか、その状態でよく昨日と今日仕事してきたね。偉いじゃん」
その時の自分は、心がズタボロだったので、「いえ、自分が悪いので」と言うことしか出来ませんでした。人の褒め言葉にまで、否定的になってしまっていました。
結論が出て、背中を丸めてふらふらと帰ろうとした時、頭に何かが乗せられました。慌てて振り返ると、新しい次長(以下上司さん)がわたしの頭に手を乗せていました。
「じゃあ、気を付けて帰って」
わたしは頷いて、帰路に付きました。
その時。初めてふつふつと、ある思いが生まれました。
(どうしてわたしはこの人がいる所で仕事していないんだろう)
ずっと恵まれている、自分は恵まれていると思い込んできました。これで満足で、環境に不満などないと思っていました。
これが社会人なのだから仕方ない。これが大人だから仕方ない。定時で帰れているのだから恵まれている。激しく怒られもしていないのだから恵まれている。
そんな中で感じた気持ちでした。就職する時に感じた、この人の下で仕事がしたい、という気持ち。
この時から少しずつ、もしかしたら、自分はなにかに気が付いていたのかもしれません。
後日、精神科にかかりました。
詳しくは省きますが、この時過呼吸にもなって、刃物は持ち出していないのですが自傷もしていて、本当に危ない状態の一歩手前でした。
新人ということで、最大1ヶ月の休職を貰うことになりました。
…………正直な話、1ヶ月では全然足りませんでした。友人と楽しい時間は過ごせましたが、それでも体力は低下し、一時期は味覚も失っていました。
しかし、12月。休職から復帰という形で、支店に向かうことになります。
ここからが、このブログを書こうと思った本番です。ここから、本当の戦いが始まります。詳しくはまた次回。