次は戦場で会いましょう

かんがえたことを書き記す。

第三回 カルナにとっての「輝ける王冠」

約135日前、わたしはこのように言いました。

「カルナさんにはまだ考える余地がある。その時にはまた記事を書く」。

約160日前、わたしはこのように言いました。

「何故カルナは、アルジュナを受け入れているのか」。

 

約半年。最初にインド兄弟の記事を打ち立ててから、半年程の月日が流れていました。

その間にも、インド兄弟のことは大好きで、私情になりますがインド兄弟の同人誌を出すにも至りました。

そうして、彼等のことを考えているうちに、わたしの中にはひとつの疑問が沸き起こったのです。

 

「本当にカルナさんはアルジュナさんのことを受け入れているのだろうか」。

「飲み込んではいるかもしれない。けれど、彼の中に葛藤はないのだろうか」。

 

今回は、徹底的にそれを考え、語っていきたいと思います。

そしてその過程で、前回、前々回に書いた記事との矛盾も明らかになりますが、それもまたカルナさんというひとを、インド兄弟のことを解き明かす要因として、組み込んでいきたいと思います。

新しくブログに「インド兄弟をかんがえる。」というカテゴリーを作りました。今までの記事を読まれていない方は、ぜひ前の記事も読んでいただけたら嬉しいです。(一応、読まれていない方にも分かるような構成にはしていきたいと思います)

 

では、始めます。今回の記事は、「FGO第5章」の台詞を多く引用し、「FGO体験クエスアルジュナ&カルナ」からも少し取り上げます。焦点を狭いところに当てて、内面をじっくりと書いていこうという趣旨です。

最後までお付き合いしていただけると嬉しいです。

 

さて。アルジュナさんは「授かりの英雄」であり、カルナさんは「施しの英雄」です。これは彼等が好きな人ならば、言わずとも知れた事実です。

神々から愛され、民からも兄弟からも愛されて、あらゆる武器を授かり、その多大なる期待と運命を背負い、悉く敵を打ち倒した英雄、アルジュナ

出生から悲しき運命を辿りながらも、人に乞われたら時に自らの身体とも言える鎧を与え、その最期に至るまで義を尽くして戦果を上げた英雄、カルナ。

どちらも等しく、強くたくましく、讃えられるべき英雄であると、わたしは思っています。そしてそのどちらもが、お互いを宿敵だと考えていた。

詳しくは第一回にて述べていますが、アルジュナさんは己が生前に犯してしまった業の清算のためにカルナさんへと殺意を向け、勝負を仕掛けます。その時カルナさんは、その勝負に応えていました。

 

冒頭に戻ります。わたしは当時、こう書きました。

「何故カルナは、アルジュナを受け入れているのか」。

 

この問いは、「カルナはアルジュナを受け入れている」という前提の元で書かれています。

英雄「カルナ」。マテリアルや様々な作品で、「あらゆる人物や事柄をそれもありと受け入れ、それぞれを花と敬う賢人」と、説明には書かれています。何より今までの作品の中で、彼の思慮深さ、不器用ながらの優しさは、余すことなく表現されています。

今までのその経験から考えるなら、わたしは、そしてカルナさんが好きである人ほど、こう考えてしまいます。

「宿敵であったとしても、彼はアルジュナを受け入れている。そして、アルジュナはそんなカルナのことを羨ましいと思い、嫉妬しているのだ」。

おそらくは、インド兄弟が好きなほとんどの人は、このように考えているのではないでしょうか。もちろん全員とは言いませんが、少なくともわたしも、先日まではそう思っていました。

 

その上で、わたしは結論をここに述べます。「今のカルナさんは、アルジュナさんを受け入れていない」と。

第二回でわたしは、「見直してもカルナさんがアルジュナさんに拘っている事が分からなかった」と書きました。

訂正します!!!すみません。

彼の、アルジュナさんへの拘りは、確かに第5章に存在したのです。ただし、はっきりと示されてはいませんので、かなり分かりにくいです。順を追って、掘り下げていきたいと思います。

 

元々カルナさんは口数が多い方ではなく、その言葉の八割が、「気持ち」ではなく「事実」です。それもほぼ自分ではなく他者へと向けられるものなので、実は「彼がどういう人なのか」という掘り下げは、とても難しかったりします。

わたしはキャラクターの掘り下げの大半を、話している台詞から考えていますが、そういう意味ではカルナさんの資料はとても少ないのです……。なので、今まで見落としていることがありました。

「受け入れていない」という事が顕になったきっかけは、5章の、アルジュナさんについてマスターへ向けられた言葉にあります。

 

「授かりし英雄、輝ける王冠(キリーティ)……アルジュナこそは、正義を体現したに等しい英霊」

 

台詞を見返している時に、「あれ?」と、引っかかりを感じました。

カルナさんは基本的に、誰かのことを「正義の人」など偏ったような見方をせず、もっと公平な言い方をしていたような気がしたのです。

同時に、カルナさんはこのような事を言っています。

 

「本来、あの男は向こう側に居てはならない男だ」

 

わたしは第一回で、この台詞について、「カルナさんがアルジュナさんが正義の側にいないと生きていけないことを知っていた」と書きました。

しかし、だとしても、おかしいのです。このセリフは、「カルナ」という英雄のアイデンティティでもある「それもありと受け入れる事」が、何一つとして表れていないのです。

例えば、まったく同じような境遇の英雄がいるとして、カルナさんはこのように思い、声をかけるのが「カルナ」の模範と言えるのではないでしょうか。

 

「オレと敵対し、そちらの側につくか。愚かしい行為だな」

「悪になりきれぬのならば、みずからの首を絞めるだけだ。慣れる事の無い肩入れは見苦しいぞ」(訳:慣れないことをしているのを見るのはこちらも心苦しいよ)

 

今までの行動や言葉を考えるに、カルナさんは上のように、「まず現状を確認し、相手の意図を読み取り、分からない場合は相手に尋ねながら、それもありとする」というステップがあります。

その冷静さは、アルジュナさんを前にすると、途端になくなります。

この後の問答を見ていると分かりますが、「カルナさんはアルジュナさんが悪の側にいることを一度もそれで良いと言っていません」。

むしろ。滅ぼす側につくと言い切ったアルジュナさんに対して、間髪入れずに、「腐れ縁に免じて」と、すぐにたったひとつだけの約束を持ち込むのです。

もしアルジュナが勝利したのなら、英霊として世界を救えと。

 

相手のことを思慮深く見抜くはずのカルナさんは、現れたアルジュナさんの語りに、しばし無言を貫いていました。そして口にした言葉は、「オレもお前も癒えることのない宿痾に囚われているようだ」というものです。

これは、オレも、と入っているところから、己の思いも含まれているのでしょう。アルジュナさんを前にして、思うことがあるということになります。相手を受け入れる言葉ではない。

そして、それは己にとって歓喜であると、揃って口にする。神も呪いもない世界で戦える喜びがあると。そうして、己の後悔を晴らすことに執着するアルジュナさんに、もし勝利した場合は世界を救えと言い切ります。

 

この行為は、今まで見てきたカルナという英雄のことを考えると、とても違和感があります。

何が違和感があるのかというと、この勝利した場合世界を救えという提案は、決して「導き」ではないからです。

何故ならば。これが「導き」ならば、アルジュナさんとカルナさんの決闘は、本気の勝負ではなく、ただの「アルジュナが勝ち、アルジュナが世界を救うための儀式」になってしまいます。

そうではない証拠に、カルナさんも、「この約束を言い訳にはしない」「お互いに本気を出して戦う」とアルジュナさんと念入りに契りを交わしています。

勝つつもりがあるのならば。本気で打ち倒す気があるのならば。何を思い、カルナさんはそのような事を持ち掛けたのでしょうか。

約束の後。カルナさんはこのような事を零しています。

 

「……言いたくはないのだがな。その手の仕事は、貴様の方が遥かに上手い」

 

改めてこの台詞を見た瞬間。ああっ!!!と、わたしの背中に稲妻が落ちました。胸中に嵐がやってきました。

今まであらゆる人のあらゆる面を見抜き過ぎて嫌われてきたカルナさんの、「言いたくない」こと。そして、世界を救うという責務が上手くこなせる、正義を体現した、アルジュナという英雄とこぼす言葉。

 

そして、この言葉の意味を更に押し上げる言葉が、体験クエストにて紡がれています。アルジュナさんと共にいる主人公に向けて、カルナさんはこんなことを言っています。

 

「その男がそちらにいる以上、オレは君たちの敵として現れる。その逆も然りだが。神話には憎まれるべき悪が必要だ。オレは心底、その手の役回りには慣れていてな」

 

憎まれる悪。敵。神話においての悪は、英雄が英雄として輝くものである。

そしてカルナさんは、「その手の役回り」には慣れている。英雄に打ち倒される役が似合う。

逆に。世界を救うという英雄の役は、カルナよりもアルジュナの方が遥かに「その手の仕事は上手い」と考えている。

 

「授かりし英雄、輝ける王冠(キリーティ)……アルジュナこそは、正義を体現したに等しい英霊」

 

己には無いもの――コンプレックス。

カルナさんの言葉の端々に、それが表れていたのです。

 

アポにて、アルジュナさんのことを「唯一拘り続けたもの」と書かれていたことは、第二回で既に書きました。

「何をどう拘っていたか」までは、第二回では解き明かしていません。何故ならば、こうであるというはっきりした提示はどこにもなかったからです。

しかし、今なら言いきれます。施しの英雄は、授かりの英雄に対して、ある種のコンプレックスを抱いているのだと。

 

それを前提にすると、何故勝負の直前に「もしアルジュナが勝利したら」の約束を持ち掛けたのかという事にも説明が付きます。

たとえ全力で戦ったとしても。全力で打ち合ったとしても。相手は授かりの英雄であり、正義であり、己は打ち倒される立場である。しかしその授かりの英雄は、「今は」、自分を殺すことに執着し、世界を救うことに興味はないと言っている。

世界を救うことがこれ以上なく似合う英雄が。逆に、己には、マスターを助け、世界を救いたいという思いがある。しかし己は、世界を救う責務は似合わない。

あの約束は、カルナさんの、あらゆる覚悟の表れであり、保険であり、憧れだったのではないかと考えています。

本当は、カルナさんは、カルナ自身がマスターを助け、世界を救いたかったはずです。その力を、誰かを救うために振るいたかったはず。けれど、授かりの英雄という正義の塊と敵対した以上。己は打ち倒される立場になる。それに全力で抗う用意は出来ているが、もしアルジュナが勝利した場合――と。考えていてもおかしくはないです。

 

わたしは最初にこう書きました。

 

神々から愛され、民からも兄弟からも愛されて、あらゆる武器を授かり、その多大なる期待と運命を背負い、悉く敵を打ち倒した英雄、アルジュナ

出生から悲しき運命を辿りながらも、人に乞われたら時に自らの身体とも言える鎧を与え、その最期に至るまで義を尽くして戦果を上げた英雄、カルナ。

 

カルナさんは義に尽くしていましたが、運命にも多くの人にも決してアルジュナさんほど愛されることはありませんでした。

自分の身の回りにあるものに満たされてはいたけれど、「授かりの英雄」は、カルナさんが生前持たなかった愛を、母を、笑顔を、栄光を、その両手に抱えていた。

体験クエストにて、カルナさんはこんな事も言っています。

 

「……業腹だが。オレが真実を告げても、お前は決して納得すまい。この世において唯一、何があろうと認めぬ相手。オレにとってはそれが貴様だ、弓の男よ」

 

実はこの時点で既に、「カルナはアルジュナを受け入れていない」ということは丸わかりだったのですが。いざ掘り下げて調べてみるまで、あまり分かりませんでした。所感は後述しますが、思い込みとは恐ろしいです。

 

アルジュナさんは、カルナさんをまったく理解しておらず、むしろ己の後悔と業しか見えておらず、人の為に善を尽くすカルナさんに、嫉妬と憧憬を抱いていました。

カルナさんは逆に、アルジュナさんという英雄を深く理解し、どう歩んできたのかを識り、そこに己にはない多くの愛を見たからこそ、「拘り」と認めたくない思いを抱いたのではないでしょうか。

 

そしてこれを前提にすると、終章の見方が少々変わってきます。かつ、今までの物語も、少しずつ。

カルナさんがアルジュナさんに、その拘りや認めない事を本人に打ち明けることは、体験クエスト以外で今のところありませんでした。今回の5章で触れてきた言葉も、すべて主人公に言うか、独り言のようにこぼした言葉です。

何故なら、これは明白でしょうが、カルナさんは第二回でも触れた通り、コミュニケーションがとても苦手です。人の為に生きるがゆえに、己の思いに疎い。

 

アルジュナさんは、終章にて、カルナさんに「お前が憎い、そして羨ましい」と告げます。

 

……ここで、よく考えてみたら。カルナさんは、アルジュナさんの言葉に対して「……そうか」と短く返しています。

そして、己の思いを明かしません。オレは、と続けません。そうしてアルジュナさんが話の主導権を握ります。

ここの「……」は、カルナさんは、どんな思いで間を空けたのでしょうか。自分と異なり感情をはっきりと口に出すアルジュナさんを見て、己はどうなのか、考えていたのかもしれません。感情に名前を付けようとしていたのかもしれません。

そして、第二回で立てた説のように、母の願いを優先し、カルナさんはアルジュナさんとの健全な勝負に身を投じるのです。己の思いなど関係ないとでも言うように。

 

輝ける王冠。キリーティ。

それは、カルナさんにとって、届かぬ光。誰もに愛されし英雄。

深く識るゆえに、認められぬ存在。受け入れられない存在。

しかし――憎んではいない。何故ならば、悪は己であり、正義はアルジュナであるのだから。

 

考察は以上です。お疲れ様でした。

いつになるかは分かりませんが、カルナさんの紐はかなり解きつつあるので、次回はイマジナリーカルナさんとオリジナルカルナさんの違いから見る、アルジュナさんにとっての施しの英雄……とかを深めて書いてみたいなと考えています。

 

おしらせ

@knm_1518←ツイッターやってます。プロフィールのマシュマロに感想とか意見とか投げてくだされば答えますので、何かあればお気軽に。よろしくお願いします。

 

 

※所感のコーナー※

ここからは記事をかくにあたっての所感になります。考察は上で終わりなので興味のある人だけどうぞ。

わたしはインド兄弟ならカルナさんが推しなのですが、彼は聖人のようであり武人のようであり、冷静で、受け入れる人、という視点に対して疑いはありませんでした。すべてのひとに対してそうであると、無条件に信じていました。

それは違う。それは思い込みであったのだと、今回の考察でよく学んだのですが……改めて、自分の思考の浅はかさが浮き彫りになりました。同時に、「このキャラクターは、こうである」という固まった思考ほど、恐ろしいものはないな、としみじみと感じています。

わたしはキャラクターの事を考え、掘り下げることが好きです。(もともと、より良い二次創作がしたくてやっているんですが……)しかしそれは、視点が自分であってはならない。まっさらな視点で冷静に考えて見えてくるものもある。忘れないようにしたいです。

あ、そう、そういえばこの前初めて知ったのですが、このブログのインド兄弟の記事がわたしの思わぬところにまで広がっているらしく、ありがとうございます……!教えてくださった方、ありがとうございました!

わたしとしては、このブログの記事は、多くの人に読んでほしいと思っています。インド兄弟という二人に秘められた深みを、たくさんの人に知って欲しいからです。

わたし自身本当に未熟で、半年前の記事と食い違ってるところとかあるのですが、二人が大好きな者として、これからも色々考えて書いていこうと思います。いや原稿もしないとなんですけど。

よろしければ、次の記事も読んでくださったら嬉しいです!ありがとうございました。