次は戦場で会いましょう

かんがえたことを書き記す。

誰もは望まない、人生100年

人生100年時代」という言葉を、最近よく聞くようになった。老後に2000万円必要だということが話題にあがってから、更によく聞くようになったような気がする。なんで100年になったのかはよく知らないけど、やっぱり医療の進歩とかなのかな?

でも、こうも考える。「80年生きるより100年生きる方が、よい時代なのだろうか」。
100年生きることって、「良いこと」なんだろうか。長く生きられることって、「良いこと」なんだろうか。これを問われてすぐに答えを出せる人は、すごいと思う。わたしは、「人による」としか言えない。
ちょっと前から、「生きるための技術はどんどん進歩してるのに、死ぬための技術はどうして進歩しないんだろう」と考えるようになった(もしかしたら進歩してるのかもしれないけど、広く知れ渡っていない)。ほうっておいたら、人間、死ぬから?……けれど、死に方を選ぶって、素敵だと思うんだけどなあ。だって、自殺って、たいていは死に方を選べないからするものだよね。どうしようもないから、何かに任せて、死ぬんだもの。「死に方を選ぶ」これだけで、人はもっと豊かになれる気がするんだけどな-。生き方を選べるなら、死に方だって選びたい。死ぬまでが人生なんだから。


仮に、100年生きるとして、何が出来るのでしょうね。これは、「1億円あったら、何が出来るんだろう」と考えることと、ほとんど同じなんですけど。
最近は料理をよくするから、何回フライパンをかえるんだろうとか、何本のにんじんを食べて、何個のたまねぎを食べるんだろうとか、そういう想像が膨らんでいく。わたしは、何をして100年を生きていくのだろう。やりたいことは、たくさんある。今はとりあえず料理がしたい。あと何回、料理ができるのだろう。
わたしは今、人生100年という言葉を信じるなら、もうすぐ4分の1のところまで来ることになる。この数年は特に早かったから、これからもっと早くなっていくんだろう。


残された人生、どう生きる?
わたしは、どう生きていく?


そう考え始めると、なんだか100年が短く思えてくるから不思議です。これから生きていくうちに、やりたいことはきっともっと増えていく。新しいことを知って、あれもこれもと欲張りになっていく。
多分、その欲がなくなってしまったら、考えられなくなってしまったら、人生は途端に楽しくなくなってしまう。何年も何も考えずに寝っぱなしになるなら、死に方を選びたいなあと思う。楽しい1年と楽しくない1年は、感じ方に雲泥の差がありますからね。
結局、長く生きることよりも、楽しく生きる方法に頭を悩ませた方が良い。楽しむための方法があって初めて、人は「人生」を生きられますから。


ここまで読んでいただきありがとうございます。
「不老不死になっても動けなければ意味がありませんから」ってフリーザも言ってたしね。