次は戦場で会いましょう

かんがえたことを書き記す。

「人間は不完全である」の証明

これはちょっと気を抜くとすぐに忘れてしまいそうなので、今ここに書いておくことにした。今週更新できてないし、挽回ってことで。

今日は、「人間は、不完全だ」という話をします。ただそれだけの話をします。今日の時点だと、多分そこから話は広がらないと思っています。続きはいつか書くかもしれないけど。


色んな物語の中で、「人間は、不完全だ」ということが叫ばれてきました。物語じゃなくても、現実でも、わりとよく見たり聴いたりするような気がします。わたしも、人間は不完全だと思っています。


ではまず、「完全」って何なんでしょうか。
完全とは、それだけで完成されていて、何の手も出しようのないくらい、完璧であることだと思っています。非の打ち所がない、とも言いますよね。何の文句も付けようがない。良いことしか並び立てられないでしょう。不満があった時点で、それは「完全」ではないのですから。
そう考えると、人間は不完全ですよね。誰もが誰もがに強い好感、もしくは嫌悪を持ちます。その時点で、人は誰もが完全ではないと言えます。


では、人間は、どうして不完全なのでしょう。
これ、答えは結構簡単で、「ひとりひとり、違うから」です。違うということは、完全ではないとも言えます。何故なら、完全とは、「それひとつで完成されている」からです。隣のものとひとつ違いがあった時点で、それはもう「不完全」なのです。「不揃い」と似たような意味と捉えることもできると思います。
生きものって、大抵不完全ですよね。体の形からまず違います。性格も違います。だからこそ、秩序というものがあるのでしょうね。最初から完全だったのなら、統一させる必要がないのですから。


育ってきた環境。かけられてきた言葉。見てきた景色。そういうもので、生きものは変わっていきます。変わるということは、不完全と言えるでしょう。「それひとつで完成されている」のが、「完全」ですからね。


それでは、今日の本題にいきましょう。
「あなたは、人間が不完全であることは、良いと思いますか?悪いと思いますか?」


ここまで読んでいただきありがとうございます。
今、あなたが思ったこと。それが隣の人と違うことこそ、人間が「不完全」である証明です。