次は戦場で会いましょう

病み備忘録 最初に「はじめに」お読みください

カルナさんというひとを理解するはなし

※この記事は前回の補足です。

前回の記事はこちら。

https://musicbell17.hatenablog.com/entry/2018/06/25/010841

 

アメリカのカルナさんとてもかわいい。

さて。先日、「アルジュナさんとカルナさんのはなし」と称して、インド兄弟の関係性について説を打ち立てた記事を載せてから、このようなお言葉が届きました。

「アポの沐浴のシーンを読んでください」。

沐浴のシーン……カルナさん好きの人の間ではかなり有名なワンシーンだとは風の噂で聞いていましたが、本当にお恥ずかしながら、アルジュナさんの事がアポに出てきているとはまったく知りませんでした。にわかがバレる。

まずは、そのようなお話を届けてくださった方へ、心より感謝申し上げます。アポはアニメを観て満足していたので、今回のような事がなければ、おそらく知る機会はなかったと思います。思っていたよりもアポに「アルジュナ」の名前が出てきてとても驚きました(後にアルジュナさんを出す伏線だったんだろうか…)。インド兄弟好きとして、カルナさんが好きな人間として、ここにお礼を述べさせていただきます。ありがとうございました。

……本当はCCCもやってからこの記事を書くべきだとは思ったのですが、個人的な事情により、今回はアポを含めたカルナさんとアルジュナさんの関係について、前回の補足という形で書きます。

今回の記事も、「Apocrypha(小説)」「FGO体験クエスアルジュナ&カルナ」「FGO終局」「FGO5章」「エクステラリンク」等から台詞を引用しますので、ご注意ください。

 

結論から言います。前回と、結論は変わりません。「カルナさんは殺したい訳では無い」「インド兄弟は殺し殺される関係とは言い切れない」と、アポを経ても考えが変わることはありませんでした。

ただ、そこに至るまでの過程が少々変化しました。今回はその話をすると共に、カルナさんという人について考察していこうと思います。また長い話になってしまいますが、お付き合いください。

 

アポの沐浴のシーンで、カルナさんはアルジュナさんのことを、「たった一つ己が拘り続けたもの」として名前を挙げています。そして、彼に向けていた感情は嫉みだったのか、嫉み以外の何かだったのか、分からない。誰かを妬む事などなかったカルナさんは、自分の感情に疎かった……とのような事が書いてありました。

アポのカルナさんはそれに加えて、戦士としての本能、高潔なる魂、考え方等についても濃く描写されていたような印象を受けます。戦士と書いてクシャトリヤと読む者としての生き方を貫くカルナさんが好きな身としてはもうニッコニコで読んでいました。5章の「ここに宿命はなく呪いもない」に通ずる描写もあって満足です。

という感想は置いておき。確かに、「拘り続けた者」だという事があると、前回書いた「この関係性はアルジュナさんの一方通行」という言葉は完全に誤りですね。

しかし、わたしはアポを読んでいてひとつの疑問を感じました。

「カルナさんがアルジュナさんに拘り続けたって、FGOのストーリーを読んでてもそんな事全然分からなかったよな……?」

前回の記事を書くにあたり、思いつく限りのカルナさんの言葉を回収しました。それを読み、考え、こうだという自分に納得のいく結論を出しました。その結論の判定はこの際どうでも良いです。

「それでもまったく分からなかった」のです。何度読んでも、何度見直しても、「カルナさんがアルジュナさんに拘っている」と感じ取れるような描写はない。例えそれを前提に読んだとしても、分からないのです。むしろ前回書いた通りアルジュナさんの一方通行に見える。カルナさんはアルジュナさんに対して、戦士としての対抗策は出すけれど、自ら殺し合おうとする気も見えない。

けれど、アポの描写で、確かに存在するのです。「カルナが喜びを見い出せていたのは戦いの場のみ」だと。ありのままの自分でいられる、殺し合いの場が己を昂らせてくれる。

その描写と、アルジュナさんに対する対応が、あまりにも矛盾しているのです。

 

ライターが忘れてしまったのか?メディア展開が多すぎて設定が追い付かなくなってしまったのか?そんな考えが過ぎりました。

――しかし。この矛盾に対する不信感に似た何かは、彼が普通の人間であった場合のそれです。彼が普通の人間であったなら、その可能性もあったでしょう。

 

わたしはこの矛盾こそが、カルナさんというひとの真骨頂を表しているのではないかと考えました。

この矛盾こそが。施しの英雄カルナに対して理解を深める入口になるのではないかと。

順を追って、ひとつずつ紐解いていきたいと思います。彼が、どんなひとなのか。

 

そもそも、ApocryphaFGOの決定的な違いは何でしょうか。

聖杯大戦と人理を救う戦い。多くのマスターとただ一人のマスター。と、いう話ではなく……媒体の話です。

アポは小説。FGOソーシャルゲーム。この際、アポアニメを入れても構いません。この三つの中で、「小説にだけある物」があります。

それは、「第三者による心理描写」です。この中で小説だけが、キャラクター自身の言葉を借りずとも、キャラクターの心を言葉で描く事が出来ます。それがあって、初めてわたしはカルナさんがアルジュナさんを拘り続けたと知る事が出来ました。実際、アポの「拘り続けたもの」は、カルナさんの口から直接出た訳ではありません。

逆に言えばカルナさん自身の心は、カルナさんというひとの葛藤や気持ちは、小説の地の文でないと描けない範囲があるという事です。

実際、アポで、これを裏付けるような興味深い描写があります。

序盤でシロウからルーラーを殺害するように命じられたカルナさん。この命は「ランサーならばマスターの命令に異議を申し立てず従うだろう」と考えての事で、実際カルナさんは諒解したと返事をして、殺害に向かいます。

しかしこの時、カルナさんはこの命令に対して疑念を抱いていました。かつ、何故マスターはそのような命令を下したのか、その理由も考えていたのです。それでも、命令は命令だから、と、カルナさんは忠実にそれを実行します。

この疑念を抱き、理由を考える流れも、カルナさん自身の言葉では語られていません。すべて小説の地の文による物です。

 

さて。

何故カルナさんは、これらを己の言葉で語らないのでしょうか?

疑念を抱いた事も、拘り続けた事も、彼は己の口から出しません。それらがなかったかのように振る舞います。振舞っているように見えます。

これこそが、カルナさんの「一言足りない」の所以なのでしょう。だとしても何故?

答えは簡単です。今まで散々言われてきたことです。彼は「誰かの為に生きる英雄」なのだから、己の事を口に出さないのは、至極当たり前の事なのです。その上で、彼の中では「それが当たり前」になっています。

カルナさん自身、「何故コミュニケーションが苦手なのか気付いていない」のです。

元々コミュニケーションとは、お互いの意思を、意見を通じ合わせるためにあります。しかしカルナさんの人生は、誰かの為に生きる、誰かの力になって散るためのもの。そこに己の意思は必要ない。「だから苦手」なのです。

他人をこれほどまで暴き立てる人が、自分の事にはこれほどまで気付かない。そこが魅力ではありますが、このような生き方をしている以上、仕方ない事なのかもしれませんね。

前回の記事にも書いた通り、カルナさんはカルナさん自身で何も考えていない訳ではありません。しかし、「それを踏まえても」、彼は命令を、願いを、マスターを、守るべきものを優先させるのです。

それが、カルナというひと。そして、これでまた、見えてくるものがあります。

 

前回の記事で、わたしはひとつ、とても大きな、大事な事を考え忘れていました。

終局にて、カルナさんがアルジュナさんに健全な戦士としての戦いを提示したのは事実です。ぐだにアルジュナさんを託していき、「オレの目的など小さなもの」と残していったのも確かな事実です。

わたしはこれに対して、カルナさんは正しく生きようとする者を庇護しようとした、と書きました。しかし今になってみれば、ひとつ大きな矛盾があります(後で修正します)。

「体験クエの時、アルジュナさんは正しく生きようとしていなかった」のです。すべての虚無を抱えて、死んでも同じだと諦めていたアルジュナさんを、カルナさんは己がアルジュナさんの目の前に現れる事で救ったとも言えるでしょう。

 

何故救ったのか?

彼の目的とは、何だったのでしょうか?

カルナさんは、アルジュナさんに「アルジュナ」として生きる道を提示しました。それは何故か?

前回はここを見落としていました。もちろん前回書いた「アルジュナさんの事情を知っていたから」というのもあるかもしれません。

しかし、アルジュナさんはそれをカルナさんに頼んだ訳ではありません。心置き無く死合う事も出来たというのに、カルナさんは敢えてそうしなかった。

拘り続けたものと殺し合わない理由は、何なのでしょうか。

カルナさんはアルジュナさんに、何を望んでいるのでしょう。

 

この謎を紐解く鍵は、ここまで書いた考察と、とある言葉にあると考えます。

カルナさんが己の意思を実行に移さない理由があるとしたら、それは「誰かに乞われた」か、「誰かに頼まれたか」の二択です。今まで書いたことを照らし合わせると、彼はその瞬間から己の思いを封じ、実行する機械になるのですから。

 

FGOという世界に現界してから――カルナさんが度々口にする言葉があります。

「母が願った理想」「かつて彼女が望んだ光景(モノ)」

母。カルナさんとアルジュナさんの母であるクンティーは、原典にてふたりの決戦の直前、カルナさんに自分がカルナとアルジュナの母親である事を打ち明けました。そして、願います。「こんな戦いはやめて、兄弟二人で一緒に戦ってほしい」と。

カルナさんは、それは出来ないと願いを拒否しました。今の自分は友への恩を仇で返す訳にはいかないと。

しかし、それでもカルナさんは約束しました。アルジュナ以外の兄弟には手を出さない。五人の兄弟が貴女の所に残ると。

そしてとうとう、「二人で戦って」という願いは、成就されませんでした。生前、唯一カルナさんが叶えられなかった願いと言っても良いでしょう。

この辺りはアポでも言及されています。そして、サーヴァントとなった今、友への恩も、神の呪いも、そして宿命もなくなった。「宿命の敵」と定めない限りは。

 

……体験クエで、カルナさんは己の目的を「小さなもの」だと述べました。

そしてその為ならば、己がアルジュナさんの敵に回っても良い。否、「回ってしまう」。そういう運命なのだから。しかし例えそうなっても、カルナさんには「小さなもの」の為に戦う理由があった。

カルナさんは、下された命令に対して大きいも小さいも言っている様子はありませんでした。彼の目的がそのような謙遜の言葉になるのは、己の事のみです。

つまり、目的である「小さなもの」は、カルナさんの願いであると考えられます。しかしカルナさんにとってアルジュナさんは、唯一の拘り続けたもの、そして許せぬ存在。「だからこそ」、そこに被さってくる願いが、その感情よりも優先するような事柄が、もしあるとしたら。

記憶を失っているアルジュナさんの目の前に突如現れたカルナさん。「それ」を得られるタイミングは、おそらく生前しかありません。アルジュナさんを救う理由となり得る、生前に起きた、カルナさんが願うであろう誰かからの願い。

わたしは、ただ一つしか思い浮かびませんでした。

叶えられなかった母の願いを、「二人で戦って」という懇願を、カルナさんは叶えようとしているのではないでしょうか。己にとっては許せぬ相手でも、それを目的としたのではないでしょうか。

カルナさんにとって、己の感情と願われたものは、まったく別のもの。切り離す事が出来ます。己に葛藤があったとしても、それは優先すべきことではない。優先するのは母の願い。

そうなると、カルナさんのこの内に秘めた思いはどうなるのかという問題が出てきますが……。実は、その答えのひとつが、カルナさん自身によって既に提示されているのです。

「(アルジュナさんの憎悪に対して)それは正しい憎み、正しい憤りだ。決して特別なものではない。そして、特別でない事とは、悪ではない。己を誤魔化すな、アルジュナ。そうせずとも、オレたちは横に並ぶことが出来る」

「あのマスターのように。振り払うことは出来ずとも、受け入れる事は出来るのだろう」

終局でのカルナさんの言葉です。アルジュナさんに語ったこの言葉。

……お気づきでしょうか。丸々、これ、カルナさんにも言えることなのです。

己にも確たる思いが、アルジュナさんに対してのみはある。ただ一つ受け入れられない事がある。けれどもそれを抑え、母の願いを優先しているカルナさん。

テラリンのとあるシーンにて、カルナさんはアルジュナさんと手を組んだ時、このようなことを言っています。

「我らが手を組めば敵はない」と。これも実はクンティーの言葉なのです。アルジュナさんが味方になった時、頼もしいと述べていたカルナさん。それは事実なのでしょう。

それでも、果たして今の彼は、その葛藤を受け入れているのでしょうか。アポから言葉を借りるなら、「仕方ない」と思っているのかもしれませんが。

ここまで来ると分かりません。新しい情報待ちです。これから掘り下げられる時が、もしかしたら来るかもしれませんね。

 

さて、結論です。

わたしは、アルジュナさんが歩み寄る事が出来たのなら、二人は殺しあわなくても良くなる、という事はあると思っています。

何故ならば、それが母の願いであり、カルナさんの願いでもあるからです。そこに己の葛藤があろうと、そこは関係ない。カルナさんは、そんなひとなのです。

「求められたら答える」。カルナさんのスタンスは、相手がアルジュナさんの場合であっても、変わりないのではないでしょうか。

カルナさんは、そんなひとなのです。

例えそこに小さな火が灯っていようとも、「仕方の無い事だ」と消してしまう。そうして人々の願いを優先する。「ただ一つ、拘り続けたものを目の前にしてもなお。」

これがあるかないかで、カルナさんへの理解は大きく変わってくるように思えます。

 

カルナさんというひと。

武人のようであり、聖人のようであり、神のようであり、それらを併せ持つ。誰かの為に身を捧げ、誰かの為に命を散らす。

それが心地よく、それが己の生き方であると定めた。

思慮深く、他人を見る目は鋭く。しかし己を見る目はない。

改めて、好きだなあと感じると同時に。まだ考える余地があると感じました。その時はきっとまた、記事を書くと思います。

インド兄弟の深さを、改めて実感しました。カルナさんというひとをたくさん考えられて、楽しかったです。

引き返せなくなった日

前回までのあらすじ

出勤ガチャ失敗

 

さて、その翌日から、まさに戦いが始まりました。

電車との戦い。会社にいるという重圧そのものとの戦い。

信じられないかもしれませんが、本当に1時間その場にいるだけで倒れそうだったので、気を紛らわそうとPCも触るのも、本を見ることも出来ませんでした。

うちの会社は小さいのでビルのフロア一部を借りて、仕切りの向こうは違う会社の人が働いている状態なのですが、少しでも仕切りの向こうから物音があると精神がすり減る感覚がありました。

誰かが向こうにいて、自分を監視している。

少しでも何か行動を起こせば非難の目を向けられる。

人からの目が完全にトラウマになってしまい、そんな思い込みが心に住み着き、空間にいること自体がひたすら苦痛になっていました。

…………実は精神科の先生に、復職してからこのあたりの話はしていません。仕事を辞めることを薦められると思ったからです。もし話していたらまた何か違ったかもしれません。

 

出来る事と言えば、椅子に座って、手が勝手に自傷を起こさないようにするだけです。この時のわたしは負荷がかかると勝手に首や腕に爪を立てそうになっていたので(これでも腕を噛まないだけマシになってました)、上司さんから「爪立てるならこれ使え」と握力を鍛えるトレーニング道具を渡されていました。硬くてきちんと扱えませんでしたが、力のやり場を逃がすだけでも充分な効果がありました。

 

さて、出勤二日目か三日目か、それくらいの時期だったと思います。

この時、ひとつの大きな事件がありました。今でも上司さんとの間で「いや〜あれはすごかった」と蒸し返す程の事です。

 

「じゃあ、まずはそこのホワイトボードに目標でも書いてみるか」

上司さんの口ぶりは、手始めに、とでも言うようなそれでした。

会社には大きなホワイトボードがあり、いつもは上司さんとわたししか会社にいないので、ほとんど使われていません。そこに「目標」を書くのが、まずは一つ目の、好母ひおりにとっての仕事でした。

「目標……まずは毎日会社に来ること、ですかね……」

流石に何日も無口でいるわけにはいかなかったので、弱々しくはありましたが、少しずつ話せるようになっていました。

「後は毎日1時間ずつ居る時間を増やすとかで良いんじゃない?まずは」

わりと軽い口調で上司さんが言いました。この時、わたしの中で出来るかどうかの不安が渦を巻いていましたが、現状維持ばかりではいけないとその二つをホワイトボードに書くことになりました。

わたしは背が低いので、椅子に乗ってボードに目標を書いていきます。

……書きながら、あらゆる思いが胸の内側から沸き上がってきました。

(毎日会社に来ることが目標なんて情けない。数ヶ月前までは会社に来て仕事をするまで出来ていたのに。八時間労働なんて何も考えなくても出来たのに。こんな1時間ずつ伸ばしていくのがやっとだなんて。今の自分はたったこれだけの事しかできないのか。これだけしか、これだけの事しか)

悲しみと言うよりも絶望でした。今の自分にはそれだけの事しか出来ないのかという絶望。息を切らしながら書いていると、上司さんが席から声をかけます。

「あ、目標の下にちゃんと名前も書いてね」

「……か、書かないとダメですか?」

「ダメ」

言い切る上司さんが、その時のわたしにはとても厳しく見えました。時折他の人が会社に帰ってくるので、この目標が見られることになってしまう。

恥ずべき事だ、とわたしは自分で思っていました。こんな事しか出来ないということを大きく打ち立てて、他の人に見られるのが恥ずかしい。こんな事しか出来ない自分が恥ずかしくて仕方がない。耐え切れない恥辱だと。

「なんかそうやってると小学校の罰みたいだな」

何気なく零した上司さんの言葉でしたが、わたしはこれで完全に思考が「落ちて」しまいました。

罰。これだけのことしか出来ない自分への、これは罰なのだと。

最後の最後まで、わたしはその目標に自分の名前を添えるのを渋っていました。数十分かかったと記憶しています。名前を書いた瞬間、それまで保っていた自分がすべて打ち砕かれました。

何も考えられなくなり、椅子に蹲りました。もう罰も恥ずかしさもどこかに行ってしまい、完全に切れてしまいました。話す気力も顔を上げる気力もない。俯くだけの人形と化していました。

「ひおりちゃん、あー……帰れる?」

わたしは首を横に振りました。駅まで行ける気がしない。五分も歩ける気がしませんでした。

「……じゃあちょっと待って、メール書いたらタクシーで送るから」

おそらくそれから30分ほど上司さんを待っていましたが、本当に「何も考えられない」状態でした。

体力が切れてしまったのもそうですが、頭がまっさらになり、完全に身体が停止した状態です。自分が生きていられてるのかも定かではありませんでした。

「そこまでは歩ける?おぶる?」

どうにかビルの外までは歩けそうだったので、歩く方を選択しました。

こうして、昼前の一時、わたしは上司さんにタクシーで家まで送ってもらいました。時間にして1時間程だったと思います。

タクシーから降りる頃にはほんの少しだけ回復していたので、なんとか玄関まで自分の足で歩けました。また明日、と交わして、わたしは帰りました。

 

これが今も定期的に話に出るタクシー事件の真相です。

翌日、会社に行くと、上司さんはこう語りました。

「もう一回タクシーになったら次はないからな。お前も俺も揃って辞めますって会社に辞表を出すぞ」

「?……なんで上司さんも辞めるんですか?」

タクシー行きになったのは自分なので、上司さんが悪いわけではないんじゃ?とわたしは思いました。

「そりゃそうだろ、責任はこっちにあるんだから。まああれだな、一心同体じゃないけど、縄を首にかけた者同士って事で……」

つまり、こちらの体調の悪さはそのまま上司さんの首に繋がると。

これにはわたしも驚きました。前の客先では、わたしがサボってる件で死にそうになっていてもそんな事は一言も言ってくれませんでした。

ちなみに、上司さんは、社員を管理する立場に就いたのはこれが初めてだったそうです。基本的に技術職だったので、こんな手間のかかる娘の相手をするのも初めてだと。

そういうことで上司さんと死線を共同する事になり、わたしの仕事復帰への道は、まだまだ始まったばかりです。

はじめの一歩を踏み出せなかった日

11月の最後。休職が明けるまであと数時間。

ベッドの中で、「とりあえず会社に行こう」「とりあえず会社には行こう」とひたすらに念じていたのを覚えています。自分に目標を言い聞かせていました。

わたしの身体がどんな状態だったのか、詳しくは前々回の「番外」をお読みください。詳しくない状態を言うとなると、10分の1の体力をどうにかコントロールしていたとしか言えません。

体力がないので、出掛けるにも、ものを楽しむにも、寝るのにも、すべて気を遣いました。後半はこれくらい外にいたからもう戻らないとなーと自分の限界をわきまえていました。

しかし、会社に行くとなるとそうはいきません。フルタイム、約8時間、デスクに座っていないといけない(仕事のことはこの時完全に考えていませんでした)。当時のわたしはそこまで考えていたか定かではありませんが、会社に行って上司さんに会おうという目標を定めていました。

 

翌日の朝。異常を感じたのは電車に乗った時です。

人間を間近に感じるだけで、腹の底から吐き気がこみ上げました。揺れではなく、満員電車に満たされた人間の気配に、体力は削られていきます。

揺られながら、あまりにも気持ち悪いので、何回か降りようか迷いました。しかし、きちんと定時に行かなければと、我慢して我慢して我慢して、どうにか会社に到着しました。通勤時間は1時間ほどですが、その間は地獄のような苦しみでした。

女性の長く伸びた髪の毛、男性のスーツ、何もかも、何もかもが、人間をまとっている。自分の近くにある。その事実がひたすらに、何とも形容しがたいことではありますが、気持ち悪く感じたのです。性別年齢、格好、関係ありません。脳が萎んで空っぽになっていく感覚があります。それでも脳は、耐えろ耐えろと怒鳴り、命令を身体に叩き込みました。

 

会社についたとき、上司さんはいませんでした。偶然席を外していたので、わたしはタイムカードだけ押して、近くの椅子に座りました。

燃え尽きた感覚がありました。ああ、来れたんだな、という気持ちはありましたが、達成感も充足感もありません。その事実だけをおぼろげに感じつつ、指先ひとつ動かせず、俯いて座っていました。何も感じませんでした。会社にいるという圧迫感だけを感じていたと記憶しています。

やがて扉が開いて、上司さんが入ってきました。わたしはどうにか首だけを動かして、上司さんの顔を見ることが出来ました。

「あれひおりちゃん、来……うわ」

 

この時のわたしの状態は度々上司さんから聞かされるのですが、曰く、「動物園で檻の隅に丸まって死んでる(ように見える)モルモットみたいだった」らしいです。

これはヤバイ状態だと察したらしく、上司さんも戸惑っていたと思います。

「完全に目が死んでんじゃん……。……よく定時に来れたね」

そのまま始業のチャイムが鳴りましたが、わたしは既に満身創痍です。ちなみに、会社は皆さん出払っているので、フロアには上司さんとわたしの二人しかいませんでした。

「これじゃ何にも出来ないよなあ」

上司さんが言ったのは純然たる事実だったのですが、わたしは非常に動揺しました。「何も出来ない役立たず」という言葉が頭を回ります。傍から見たら座っているだけですが、心は既にズタズタな状態です。

「でもこれ以上休職伸ばせないから、少しずつやっていくしかないか……。今日はもう帰る?」

確か頷いたと思います。この間、ひとことも言葉は発せられませんでした。しゃべる気力はとっくにありませんでした。

「休務届は書け……そうにねーよな。俺が代わりに書いとくから、落ち着いたら帰りな」

そのまま、数十分、そうしていたと思います。上司さんはその間、自分の仕事をしていました。こちらに話し掛けてくることはありませんでしたが、わたしとしてはそちらの方が気が楽だったので良かったです。

30分は経って、ようやく椅子から立ち上がることが出来ました。

「帰る?」

扉に向かうところで声をかけられました。無言の頷きを返します。

「そっか。お疲れ様、気を付けて」

タイムカードを押して、帰ります。時間にして、大体1時間ほどでした。

帰りは電車が空いていたので、まだ何とかなりました。こうして一日目はどうにか終了です。結局、一言も言葉を話せないまま座っていただけで終わってしまいました。

 

「会社に行って上司さんに会う」という目標は達成されたものの、成果としては完全に駄目なやつです。本来なら休職を伸ばすくらいの様子だったとは思いますが、新人なので一ヶ月しか許されませんでした。むしろ、会社を辞めてしばらく時間を置いた方が良いくらいの状態だったかもしれません。

普通どうなのか分かりませんが、上司さんはここで、「少しずつやっていくしかない」という判断をしました。多分この場で「辞めろ」と言われたら、当時のわたしは辞めた方が良いかもしれないと思っていたでしょう。ここから上司さんの言う通り、「少しずつやっていく」ことになります。

一言も話せる状態じゃない新人を目の当たりにしてそう言える上司さんも、今思えばすごいな……と思いつつ。波乱の日々が、ここから始まります。

この先、選んだ道を

本当は最後に書きたい話だったのですが、今書かないと忘れてしまうと思ったので書きます。この記事は、きっとわたしが全部を書き切った後に読むと、生きてくると思います。

片隅に、忘れない記憶。まだ覚えているうちに。

 

某日。午後、仕事に煮詰まってきたタイミングでした。横で新人達が別作業をする中で、唸りを上げながらパソコンに向き合うわたし。

「なに、もう目が疲れてんじゃん」

「そうですかね」

あまりにもへとへと過ぎて、上司さんの言葉に素っ気なく返したと記憶しています。すると。

「ひおりちゃん、ちょっとお茶でもしに行くか」

「……へ??」

お茶???今業務時間中なのですが……。

「何にも持っていかなくて良いから」

「いえあの、でも」

「良いんだよ昨日Aの面接の時だって帰りにお茶して帰ったし!なあ!?」

後輩のAくんが、弾ける笑顔で「そうっすね!」と答える。じゃあ、これ、良いのか……な?

「わ、わかりました」

わたしは慌ててパソコンをスリープ状態にすると、留守を後輩達に任せて、上司さんと外に出ました。

身長差がえげつない上司さんの歩幅に、わたしは小走りでついて行きます。

「あの、業務時間中なんですけど、良いんですか……?あと、奢りになりますけど」

「良いんだよ責任者は俺なんだから。責任者に全部任せておけば良いし、珍しく甘えても良いっつってんだから甘えろっての。そこの喫茶店で良い?」

「は、はい」

肩身の狭い思いをしつつ、上司さんとわたしは喫茶店に入りました。

茶店の中には、午後のひと時を過ごすおばちゃんや女子大生らしき人で溢れていました。ふたりで入ったわたし達は、奥の二人席に通されます。いつもの様子で座る上司さんと、縮こまって座るわたし。

「そんなに萎縮するなよ、こういうの俺前職だと結構あったから」

「え?そ、そうなんですか」

「気分転換にってお茶に出掛けてたよ。発想の勝負の職場だしな」

それを聞いて、わたしは少しだけリラックスしました。それも少しだけでしたが。

「ひおりちゃんに大事な話があってさ」

「だ……!?だいじ、な、はなし、ですか」

なんだ。解雇か。そういう話か。何かサボっていたか。

ふたりで呼び出されるという行為に、わたしは病んだ時のトラウマがありました。「勤務態度が良くない」「もうこれ以上続けられない」と言われないかと、喉が緊張で動きません。

「まあそれは後で。何でも好きな物頼んでいいよ」

「じゃあブレンドティーで……」

「別にデザートも頼んでいいよ」

「え。じゃあ、パンケーキも……」

と、上司さんも決まったところで、メニューを頼みます。

「わたしパンケーキのセットで。飲み物がブレンドで……」

「ひおりちゃんコーヒー飲まないでしょ?」

「え?アッッす、すみませんブレンドティーです、ティーの方です、ミルクで」

めちゃくちゃ慌ただしく注文を済ませると、これ以上なく呆れた顔で上司さんがわたしを見ていました。言わんとしてる事がすぐに分かります。

「鈍くせえ頼み方…………いつも鈍くせえけどまた鈍くせえ……」

「んぐ、し、仕方ないじゃないですか」

「本当そんなんで大丈夫か?重要な話って聞いたらガチゴチになってるし」

「うっ……その、重要な話ってなんですか」

詳しくは割愛しますが、重要な話というのは、今いる会社からまた離れてお仕事をする事でした。それをやりたいか否か、本人の意思を聞きたいと。

説明を受けているうちに、パンケーキと紅茶も運ばれてきました。

「どう?ひおりちゃんやる?返事はそのパンケーキ食べ終わるまで待つから」

「…………」

多分、前までの自分だったら、病んだ時のように行って失敗したらどうしようと怯えていました。腹痛を訴えて帰っていたかもしれません。

それでも、すぐに返事をして良いものかと、頷きかねる自分がいます。今この瞬間悩んでいたってしょうがないのに。引き伸ばしたところで不安が積もるしかないのに。

それでも迷いはありました。不安もあります。けれど、前よりもずっと軽いですし、「しょうがないよな」という気持ちも生まれていました。

「やめる?これ以上引き伸ばしたってさらに不安しか浮かばないぜ?」

「いえ、やりたいと思ってます。今同じことを考えていました。これ以上考えても不安になるだけです。一歩を踏み出していかないと……」

「へえ、そうなの。重要な話って解雇されるとでも思ってた?」

「…………はい」

んなわけねーだろと言われたか、鼻で笑われたか、どっちの反応だったかは忘れましたが、どっちかだったと思います。

「3月だったら考えてたけどな」

「えっ、3月に考えてたんですか!?」

「当たり前じゃん!あーもうこれは無理だね、終わりだね、もう辞めるか、って言うところだったよ」

3月。会社を辞めるタイミングがあるならば今だと悩んでいた時期です。今よりも自分を追い詰めて、一度早退までしました。(詳しくは後々に書きます)

「それでもさ、ここまで何とかしてどうにかして頑張ってきたじゃん」

「はい。何とかしてどうにかしてきましたよ、文字通り這いつくばりもしましたし!」

「何じゃそりゃ。で、この先も結局、どうにかして何とかしていくしかないのよ。それは自分の手でしか選べないし、自分で選んだことしかどうにか出来ない」

「……はい。そうですね」

「だから、そこまでプレッシャーは感じなくても良いよって話。良いよ失敗したってまたこっちに戻ってこれば良いんだから……って、俺がいるうちはいくらでも言えるんだけどな」

上司さんの言葉が濁りました。

と言うのも、上司さんは近々別の場所に異動になったからです。また新しい上司さんが来て、半年以上、病んでからの激闘の日々は、一旦終わりを告げることになります。

お茶に呼び出されたのもそのためだと、なんとなく分かっていました。

「ひおりちゃんは前から言ってるけど鈍感力をつけないとな」

「鈍感力ですか」

「そう。周りに気を遣ってばっかで疲れるだろ。一番知ってるのは本人だろうけど、周りの事に集中していないように見えるんだよ」

昔から、いわゆるビビりだった好母ひおりは、小さな物音にもビックリする質でした。周りからサボっていると思われていた前の職場。確かにその要因もあったかもしれません。

「世の中理不尽だからさ、無言でパソコンに向き合ってるように見えて遊んでる奴の方が、見た目よっぽど仕事してるように見える訳よ。そういうセコい奴がいっぱいいる。なんであんな奴がってジジイが偉い立ち位置に就いてる事もあるだろ?」

「あんまり具体的には想像出来ないですけど……そうなんですね」

「そうなの。もちろん努力しなかったとは言わねえよ?でもこっちの方が実力はあるのになんで、って事もある。プレッシャーを感じ過ぎないようにっていうのはそういう意味もあるからな」

セコい奴。セコい生き方。

自分にはあまり、考えられないものでした。多分、そのセコいやり方というものの方が頭が良いんだろうと、分かってはいましたけど。それでも出来ないなと、自分の中の何かが確信を持っていました。

話は、会社にいる人達の話に変わります。わたしのいる会社はとても小さく、あまり荒波を立てないような人が多いです。

「ここに来た時、どいつもこいつも負け犬の目をしてんなあと思ったね」

「負け犬……?ですか……?」

「外に出ずに、地元の湾で船を出して満足してるような奴らばっかなのよ。そっちの方が傷は付かずに済むかもしれないけど、それで給料が少ないだの愚痴愚痴言ってるような奴らばっか」

なんだか上司さんの不満を聞く側に立ってしまったような気がしますが、気になるのでそのまま耳を傾けます。

「道はふたつしかないわけよ。船が木っ端微塵になるかもしれないけど外の世界に出るか、被害は最小限かもしれないけど内に留まるか。選ぶのは本人の自由だけど、それで文句を言うなって話。選択したのは自分なんだから」

「最小限の方が、リスクは少なくて頭が良いような感じはしますけど」

「まあね、そこは間違ってないよ。そっちの方が自分のためには良いだろうし」

話を聞きながら、上司さんは下手したら木っ端微塵になる方を選ぶのだろうなあと思っていました。

上司さんは多分、現代に生きる人々から見たら、いわゆる「意識高い系」の人だと感じます。けれど、取り組む理由も、怒る理由も、何の話をしていても、全部の言葉に説得力がありました。わたしのブログでは伝えきれないところがあると思いますが、そういう人でした。

「それで俺は、ここに来て、まずフロアと規模を大きくしようと思った。せっかく人間は優秀なのが揃ってんだから勿体無いと思って」

「まあ、こんな手間のかかる娘もいましたけど……」

「だからってそのまま見捨てるわけにはいかねえだろ。昔だったらやる気あるの?出来ないなら帰っていいよって言ってたけど、まあそのへんは変わったのかな」

「何か思うところがあったんですか?」

「さあ。けど、優秀な人間だけ拾って残りを切り捨ててたら、もう何にもならないだろ。会社として成長しないし、それが責任者の仕事だし。負け犬の目をしていようとなんだろうと出来るところまでは育成しないと」

そこから先は本人の努力次第だけどな、と上司さんは付け足しました。自分を見捨てなかったことに感謝をしつつ、人間の仕事を管理する仕事、の難しさについても触れたような気がしました。

話は再び変わり、今会社にいる後輩達の話になります。

「Bとか物わかりが良いのは分かるんだけど、ビビりだからなあ」

「ああ、はい、余裕がなくなるところがあるのは分かります。結構不安になっちゃいがちですよね、本人的にはいつも精一杯話してる感じなんだとは思いますけど」

「キャパオーバーした時とかすぐに分かるだろ?顔変わるから」

「そうですね。そのあたりはAくんとかの方が肝が座っています」

「その辺を見極めながら話してるんだけどなぁ。物わかり良すぎるのも逆に心配するけど……」

思わぬ盛り上がりを見せ、ふと。

「ひおりちゃんと俺って、感性の絶対値は同じくらいかもしれないけど真逆なんだよなあ」

「あー……それは確かに」

何気ない感性的な議論を何回か交わしたことはありますが、上司さんとは意見は合わないけれど議論の波長は合うようなことがしばしばありました。

例えばAくんの事を上司さんは毎回えんえんとチャラ男と言っていますが、わたしにはちょっと軽いところもあるけれど根はまっすぐな子くらいに見えます。多分核としてのAくんは同じように見えているのだと思いますが、それを受けての感じ方が違うのです。

「見えてるものは一緒なのに感じ方が違うっていうのも面白いですよね」

「面白いか?まあ俺がひおりちゃんと一緒だったら絶対嫌だし気持ち悪いから良いけど」

「そこまで言わなくても良いじゃないですか!?」

「俺が一緒になってたら嫌だろ!?」

「嫌ですけど(嫌ですけど)」

ここまで話して、これだけ話し合える上司さんと「一緒が嫌」っていう感覚もまた独特だなと。

同じことを「それわかる」と共感して喜ぶのではなく、違うことを話し合って、お互いに納得する。「そちらの言い分もわかりますけどそれだとダメですよね」という展開も何回かありました。ちゃんと反論出来たことは数えるほどしかありませんが。

上司さんは、わたしの言うことに対して、「そうだよね、わかるわかる」と言った事は、この半年以上の間でおそらく片手で足りるくらいしかありませんでした。お世話になっておいてなんですが、優しい人だと思ったことはありません。ただ、尊敬出来る人と思ったことは数え切れません。

言われたことを「そうですね」と流すのも良い生き方なのかもしれない。時と場合によっては、そうしないといけない時もある。というか、多分そっちの方が疲れなくて賢い選択なんだろうなあと、最近になってしみじみ思います。

 

けれど、それで流されて病んでしまったのが去年の話です。いつも言い合わなくてはとは言いませんが、いわゆる事なかれ主義のようになると、あまりにも譲り過ぎて行き場を失ってしまう。わたしはそんな人間なのです。あまりにも不器用で、あまりにも幼い。

その自分の欠点を、こういう人間だという視点を、この半年以上で受け入れてきました。

人と違うことが悪い事だとは思わない、と思うようにしました。自分が納得出来る道を進むことが出来れば、苦しむ事はあれど、不安はなくなる。そういうメリットがあるのだと考えつつ。

自分が選択した道に後悔はしたくありません。これも仕方がないと諦めるのではなく、やれるだけやってみようと前向きな気持ちを向けたいと今は思っています。

……我ながら、猪突猛進と言いますか、スポ根のような考え方になったなーと。けれど、自分にはこっちの方がしょうに合ってるし、気合いだけでどうにかなるとは思ってません。

どうしても噛み合わない時も、冷静に見て諦めないといけない時もある。目の前だけを見て、突き進むだけではいけない、ということも、忘れないようにしないとなと。

「じゃ、そろそろ出るか」

「はいっ」

時間にして1時間半、気が付けば話し合っていました。だいたいわたしの食べるスピードが遅かったせいですが、パンケーキと紅茶を完食して、外に出ました。

本当に合わないと思った時、これ以上前に進めなくなった時は、この会社からお暇させてもらう予定ではあります。

しかし、それでも、上司さんの下で教えて貰った色んなことは、これからも心に残り続けるのだろうなと思います。これからの人生、明日死ぬかもしれないけれど、明日生きることになるかもしれない日々を、一生懸命生きていきたい。

とりあえずこの記事は、ここで終わりにします。既にこのブログを立ち上げた最後に書きたかったことはほぼ書けましたが、まだまだ備忘録として残しておきたいことはあるので、もうちょっとだけ更新していきます。

番外 深刻なうつ一歩手前の身体になった感想

うつ病」と聞くと、皆さんはどんな状態を想像するでしょうか。

死にたいと思いながら身体を引きずって身を投げる光景でしょうか。この世のすべてに絶望して刃物を手首に刺すような光景でしょうか。無気力で地面に寝そべっている光景でしょうか。

それも、精神病の症状によるものだと思います。しかしそれは、本当に最後の最後の症状です。そんなギリギリの状態だけが「精神病」と言うのではないと、わたしは思っています。

ということで、今回はちょっとした番外として、わたしが体験した、「精神病になると身体がどうなるのか」という話をします。もしこれを読んで「自分ヤバいかもな」と思った人は早めにお医者さんに行くことをお勧めします。

一応言っておくと、わたしは精神病のお医者さんでもなく、あくまでも患者になったことのある一人です。あしからず。

 

わたしは病の種類としては、「適応障害」と呼ばれるものにかかりました。

調べてみたところ、「うつ」よりも軽い症状らしいです。ただ、精神科は患者さんのお話を聞いて判断するしかないので、本当にそうだったのかは分かりません。正直先生に全部を話せていなかったので、もしかしたらまた違う病だったのかもしれません。

先生曰く、「今にも溢れそうなコップいっぱいの水」状態だったみたいです。表面に膜が張っていて、あと一滴水が加われば取り返しがつかないことになっていたとの事。

 

精神病になったきっかけは、社会人一年目のストレスです。詳しくはこのブログの過去記事に書きましたが、周りからの監視の目、表面上のお付き合い、というのに慣れず、どんどん身体が異常になっていきました。

 

では、具体的にどんな風におかしくなっていったのか。

 

精神病とは、一言で言ってしまうと脳のバグです。頭がきちんと働かず、酷いと日常生活もままならなくなっていきます。

……とまではよく聞く話ですが、問題は、「脳がバグると、どうなるの?」という事です。

身体と心に解離が発生し、どんどん亀裂が広がっていきます。身体のコントロールがきかなくなってきます。その具体例を、症状が軽かったものから下に挙げていきます。

 

まず、感情の起伏が少なくなってきます。同時に、他人に対して前より冷たく当たるようになっていました。

姉からも「最近のひおりなんか冷たいよね」と言われましたが、ふーんくらいで済ませていました。この段階では、まだ精神的なもののせいとは気付いていません。

仲の良い友人から「遊びに行こう」という誘いがあっても、前までは喜んで行っていたところを、「今日は疲れてるから断ろう」と避けていたのもありました。自分に余裕がなかったので、他人を気遣うことがなくなっていきました。

 

次の段階として、何をしていても落ち着かなくなりました。

仕事中も、仕事が終わっても、帰って家にいても、仕事の事を考えてしまう。こうしている間にも、自分を監視する方法を考えているんだろうか。今も職場の人から快く思われていないのだろうな。などなど……。勝手な思い込みをどんどん募らせていきました。

 

何より分かりやすかったのが、記憶力と体力の低下です。

職場で業務についてのテストがあったのですが、何をやっても頭に入ってこないので、悪い点になっていく。勉強したはずなのに覚えられない。物忘れというレベルを超えています。酷かった時は、何ヶ月もやっていたルーチンワークのやり方をぽっかり忘れました。

体力は、仕事自体はデスクワークだったので分かりにくかったのですが、遊びに行くと顕著でした。2時間外にいたら疲れ果てます。そこまで激しい運動もしていないのに、です。

わたしの場合、「監視の目」がトラウマになっていたのもあって、特に電車に乗ると吐き気と目眩が止まりませんでした。人通りが多い場所に行くと、身体が勝手に緊張して、ただでさえ少ない体力の消耗が激しい。30分でふらふらになっていました。一日が長く感じるようになりました。

集中力も下がっていました。文章を読めない。情報が処理出来ない。一時期ツイッターの表垢から姿を消していたのはそれが原因です。次々に流れてくる情報を処理出来なくなるのです。同じ理由で、音楽も聞けなくなりました。「どのような旋律か」の情報が処理出来ないので、頭痛がするようになりました。

精神病は、気分を鬱々とさせるだけではなく、肉体的にもあらゆる事が出来なくなってしまいます。物理的に、身体が処理出来ないのです。わたしはこの頃、心が身体を傷付けている感覚すらありました。「何とかしろ」という心の号令に、身体が付いていけないのです。脳がバグって、解離を起こしているから。

 

そして、自分でも「これはまずい」と思ったのが、あらゆる物からの興味の喪失です。

わたしは三次元二次元問わず、好きな物を愛しているオタクです。今は元気になったのであらゆる物を嗜んでいますが、この頃は途端に興味を無くしていました。

自分でも一番驚いたのが、友人から誕生日プレゼントを貰った時です。好きなキャラクターのグッズを貰ったのですが、それを見ても、全然嬉しくなかったのです。今までのわたしでは考えられない事でした。対応も、ものすごく素っ気なく返していたと思います。当時は疲れていたからと思っていましたが、今思うと本当に異常です。

いくらでも語り尽くせるほどに好きなキャラクターが、好きなアイドルが、好きではなくなっていきました。姉にDVDを見る事を誘われても面倒だからと見ない方を選択していました。

今思うと恐怖でしかありません。本当に生きる気力を無くしていたのだと実感します。

流石にこの対応はおかしいと思われたのか、姉はこの時ぐらいからわたしが精神病であることを疑い始めたそうです。

 

それからわたしは一応、診断書を貰って一ヶ月の休職を貰いました。

周りから「ゆっくりしたら良いよ」と言われ、始めの数日はただただベッドに寝ていました。休職を貰ったからと言っても、外に出る気力も体力もなかったのです。

遊ぶにもすぐに限界が来るので、友達と会うのも気を遣わせました。今思うと、わたしに合わせてくれた友人達には感謝し切れません。せっかくの誕生日プレゼントを当時喜べなかったのは、今は後悔しています。けれど、今年は、何を貰っても嬉しいと思います。

 

普通に日常を過ごしている時も、遊ぶ時も、身体が悲鳴を上げます。ふっと、脳が拒否反応を起こします。停止します。たとえ、どんなに親しく、久しぶりに会った友達でも。

精神病になって、一番怖いと思ったのはそこでした。何もかもに気力をなくし、色んな繋がりを断ち切るところでした。

脳のバグは恐ろしいです。気持ちだけの問題ではない。自分の視界から、あらゆる物をシャットアウトさせていく。あらゆる事を出来なくさせていく。

これはあくまでもわたしの経験ですが、他にも同じようなことがあると思います。精神病が、「気持ちが落ち込むだけの病気」だと誤解されませんように、この記事を残しておきます。

10月 決定的な日

さていくつか記事を書いてきましたが、わたしは正直自分が病んでいく様子を書きたくてこのブログを始めたのではありません。どうやって自分を立ち直らせていったのかを書きたいのです。

なので、もう率直に、何故病んだのかを言います。

 

・周りからの監視の目が怖かった

・職場環境と合わなかった

・自分を思い詰め過ぎた

 

大きくはこの三つだと思います。

このすべて、自分の状態が悪くなるまで、自覚はありませんでした。むしろ、「自分は定時で帰れるし、大きく怒られもしてないし、恵まれている」と思っていました。ツイッターで流れてくるブラック企業にも当てはまらないし、大丈夫だろうと。

 

そう思っているうちに、「仕事は出来るけどサボっている好母ひおり」を何とかしようと、周りの行動は変わっていきます。

まず、わたしだけに日報を書かせるようになりました。何をどれほどの時間をかけてやっているのかを書くように言われました。この時のわたしは元気がなかったので、どうしてやるのですか?と聞くことは出来ませんでした。

次に、やっている業務について、テストをすることになりました。これもわたしだけの特別メニューです。わたしだけがやる事が、どんどん募っていきました。

流石にこれだけやられたならば、いくら鈍感な自分でも、信用されていない事は分かります。信用されない行動を起こしたのはわたしだったのかもしれませんが、何より怖かったのは、それでも表面上はにこにこと仲の良い職場を装っていることでした。

 

わたし自身、一番苦手なことでした。

腹に黒い何かを抱えながら顔を笑わせるのは。それを感じる事も、見る事も。

それを感じてしまった時から、完全に職場を信用できなくなってしまいました。耐え切れなくて電車の中で迷惑をかけないようコソコソ泣いて、最寄り駅に座り込んで泣きながら信用出来る友達に電話したのを今でも覚えています。今でも思い出すだけで涙が出そうです。

表面上は笑顔だけれど、その裏で、厳しい監視の目を向けられている。その恐怖で仕事が進むはずもありませんでした。悪い方に悪い方に転がっています。

席を外す時も、自分がいない間に悪口を言われているのではないかと、気が休まりません。(そういう職場だったので……)

 

決定的だったのは、そのテストが悪かった日です。テストを作った人に呼び出され、こう言われました。

「このテスト、好母さんのために作ってるんだよね。こうでもしないと勉強しないから」

……こうでもしないと勉強しない。ああ、そんなに信用されてなかったのか。そういう人間だと、思われていたのか。努力もしなければ、監視しなければ何も出来ない人間だと思われていたのか。

この瞬間、自分の中の全部が一気に崩れ去りました。目の前が真っ暗になったとはこの事を言うのだなと、今でも思っています。覚えているのは、その後に届け物をする時です。

既に何回も行っているフロアに郵便物を届けるだけだったのですが。その道が、思い出せないのです。エレベーターに乗ってボタンを押す時、あれ、確か、何階だっけ、としばらく迷いました。

 

明らかに自分の身体がおかしいことに気付きました。例えばキーボードで文字を打つ時、指が動く感覚はあるのですが、何を打っているのか頭に入ってこないのです。電話対応をしている時、口が動き声は出るけれど、何を話しているか自分で把握出来ない。自分が話しているのに。

おかしい。これはおかしい。これは危険だ。

わたしは慌てて、その日の仕事帰りに、会社にいる、5月から変わった次長に電話をしました。

その次長さんが、今日に至るまで本当にお世話になった方です。

当時、9月に面談をした時、快活な話し方とズバズバした物言いに好感を感じていたので、相談した方が良い、この人には相談出来るだろうと判断しました。

 

「すみません、ご相談したい事があるんですけど」

「良いよ。いつにする?」

 

思えば、久しぶりに、人に安心して相談などしたような気がします。

 

「明日は難しいので、明後日で……」

翌日はなんとか堪えながら仕事をしました。この日を耐えれば相談出来ると、それだけを希望に何とか踏ん張りました。

翌日の業後、会社に相談をしに行きました。記憶力がないこと、電車や通勤時に勝手に泣いてしまうこと、などなど、今起こっている自分の身をすべて告白しました。

「俺じゃ判断出来ないから、お医者さんに行ってきな」

この判断は冷静だな、と思いました。もっともです。

「ていうか、その状態でよく昨日と今日仕事してきたね。偉いじゃん」

その時の自分は、心がズタボロだったので、「いえ、自分が悪いので」と言うことしか出来ませんでした。人の褒め言葉にまで、否定的になってしまっていました。

 

結論が出て、背中を丸めてふらふらと帰ろうとした時、頭に何かが乗せられました。慌てて振り返ると、新しい次長(以下上司さん)がわたしの頭に手を乗せていました。

「じゃあ、気を付けて帰って」

わたしは頷いて、帰路に付きました。

その時。初めてふつふつと、ある思いが生まれました。

(どうしてわたしはこの人がいる所で仕事していないんだろう)

ずっと恵まれている、自分は恵まれていると思い込んできました。これで満足で、環境に不満などないと思っていました。

これが社会人なのだから仕方ない。これが大人だから仕方ない。定時で帰れているのだから恵まれている。激しく怒られもしていないのだから恵まれている。

そんな中で感じた気持ちでした。就職する時に感じた、この人の下で仕事がしたい、という気持ち。

この時から少しずつ、もしかしたら、自分はなにかに気が付いていたのかもしれません。

 

後日、精神科にかかりました。

詳しくは省きますが、この時過呼吸にもなって、刃物は持ち出していないのですが自傷もしていて、本当に危ない状態の一歩手前でした。

新人ということで、最大1ヶ月の休職を貰うことになりました。

…………正直な話、1ヶ月では全然足りませんでした。友人と楽しい時間は過ごせましたが、それでも体力は低下し、一時期は味覚も失っていました。

しかし、12月。休職から復帰という形で、支店に向かうことになります。

 

ここからが、このブログを書こうと思った本番です。ここから、本当の戦いが始まります。詳しくはまた次回。

アルジュナさんとカルナさんのはなし

ツイッターではもうたっぷりしたアルジュナさんの話ですが、今日はある一点に集中して、アルジュナさんとカルナさんの関係を考えてみようと思います。

ぶっちゃけFGOのいわゆるインド兄弟に興味が無い人にはとてもつまらない記事になると思いますが、元々好きでやってるブログなので、そこはご了承ください。

ちなみに、今回の記事を書くのに参考にしたのは、「FGO体験クエスアルジュナ&カルナ」「FGOメインストーリー5章」「FGOメインストーリー終局」「FGOマイルーム会話」「FGO幕間の物語アルジュナ2」「エクステラリンク」が主です。これらの直接的なネタバレは書きませんが、一部セリフを引用します(テラリンは控えめにしています)。ご注意ください。

 

さて。そもそも何故この記事を書くのに至ったかと言うと、「アルジュナはカルナを理解している」という旨のツイートを見たからです。

これを見た時、わたしは首を傾げました。既にテラリンはプレイしていましたが、そう思った記憶もありません(八割あの熱いシーンに持ってかれたのもあり)。しかしテラリン発売後、そのようなツイートが各所でよく見られました。

認識が間違っているのは自分なのかもしれない。そう思い、二日程かけて、もう一度アルジュナさんとカルナさんの会話を、思い付く限り回収しました(今回はFGOのイベントは除きました)。もう一度見つめ、読み砕きました。

今回は、その二日間の研究とも言える行為のまとめとも言えます。長い記事になりますが、お付き合いしてくださると嬉しいです。

 

念の為、アルジュナさんとカルナさんについてを、簡単にここに記します。

アルジュナさんとカルナさんは、「マハーバーラタ」に出てくる登場人物です。

マハーバーラタは他にも多くの人物が登場しますが、アルジュナさんはその中でもあらゆる武器を授かり、その力でことごとく敵を打ち倒した英雄です。そのアルジュナさんと物語の終盤までライバルの立ち位置であったのがカルナさんです。

アルジュナさんは知りませんが(型月ではどうなのか不明瞭)、二人は異父兄弟。カルナさんは産まれた時に母クンティーに捨てられ、御者の息子として育ち、類まれなる運命によりアルジュナさんと敵対します。

……というのは、恐らくFGOのマテリアルを見ればおおよそは分かることではないでしょうか。この記事では、もう少し視点を変えて、二人の性質に関係のあるところにまで突っ込みます。

 

マハーバーラタは、運命の物語です。

戦士として生まれたからには誇り高く生き、御者として生まれたからには御者として生きていく。一度神から掛けられた呪いは、どうあっても解く事は出来ない。根が弱虫でも、王子として生まれたからには、国を守るために戦わなくてはならない。そんな世界です。

そんな世界の中で、カルナさんは御者の息子から実力で戦士に成り上がった、いわば身分制度を打ち破る希望の光でした。彼にとって立場とは、変えられる、打ち破れるものです。

アルジュナさんは、戦士として生まれ、戦士として愛され、誇り高く武器を携えて兄弟と共に生きた英雄でした。彼にとって立場とは、不変なる、絶対的なものです。

この二点が、二人を語る上でとても大事になってきます。片隅に置いておいてください。

 

では、本題です。

アルジュナはカルナを理解しているのか?」

いえ、しかし待ってください。その前に、ひとつ考えることがあるのでは。

 

アルジュナは他人を理解する人間なのか?」

この質問、カルナさんに置き換えると、これ以上なく簡単です。カルナさんはアルジュナさんに限らず、他人のあらゆる事を見抜き、暴き、反感を買われる程です。

アルジュナさんはどうでしょう。彼は、人の何を見ているのでしょうか。

アルジュナさんは基本的に、カルナさん以外のサーヴァントとの絡みはありません。幕間の物語も、今のところはすべて「彼の自己完結の物語」でした。そして、彼が登場する時、いつも己の事を語ります。

「私のこの想いは」「私を見ないでください」「このアルジュナ」「この憎悪と妬みは」

おそらく九割アルジュナさんの口から出ているのは己の事です。しかし、この文章を読む人の中で、このような人もいると思います。

「カルナの事はよく言っているのでは?」

わたしも最初はそう思っていました。カルナさんとの敵対がキャラクターとしておいしいポイントでもあるアルジュナさんは、カルナさんのことはよく言っているはず。

アルジュナさんはカルナさんの事をこう言っています。

「カルナ、私はおまえが憎い、そして羨ましいよ」

「私にとって、カルナこそ宿命の敵」

「あの男はきっと、正しい存在なのでしょう。人を正しく人だと認識し、その身を全て善行に捧げるような英雄なのでしょう」

これと、テラリンでもひとつ言及しています。「私の知るカルナは」と。

…………実は、アルジュナさんがカルナさんに対して「おまえはこういう男」だと言っているのは、本当にこれくらいしかありません。しかも、一つ目に関しては己の感情の吐露です。

正しき英雄。正しき男。善なる者。

そんな、ふんわりしたことしか理解していないのです。実は。テラリンでも例外はありません。「善なる英雄」以上の事を、アルジュナさんの口から語られた事は、実はないのです。

逆に。カルナさんからアルジュナさんへ、語られた事はとても多いです。「己を誤魔化すな」と、導きとも取れる言葉を送った事もあります。

 

「インド兄弟はお互いにお互いを理解し合っている」と聞いて感じる最大の違和感は、そこにあるのです。

アルジュナさんは、カルナさんの事だけを考えているのではありません。とんでもない。むしろ、自分の事しか考えていない。否、自分の事しか考えられない、と言った方が正しいでしょう。

 

彼は常に自分が最上のサーヴァントだという意識を持って振舞っています。そうすると、他に目を配る余裕はほとんどありません。あったとしても、それは正しいか、正しくないかで判断する。

この「正しい」「正しくない」の問いは、マハーバーラタでも頻繁に描かれた事です。この行為は戦士として正しいのか。この行為は正しき道を生きようとしてる者に相応しい行為なのか。

アルジュナさんの基準はそこにあります。その枠に当てはめ、正しくない事を恥とする。

それをしている限り、真の意味で他人を理解する事は出来ません。己の行動すらも枠にはめている時点で、彼は他人を理解する事など出来ないのです。

何故ならば。その時点で、己というフィルターを通して見ることになってしまう。そして、アルジュナさんは、ただでさえ「己」が強い人です。

「その傲慢さこそがおまえの真価だ」とカルナさんも言っていました。

強く己を持ち続け、正しく在ろうとする。わたしは、アルジュナさんというキャラクターの最大の魅力は、そこにあると思っています。

己を律し続け、在るべき姿で在ろうとする。大英雄の名を汚さないように。初めは己を晒すことに恥を感じていたが、マスターと出会い、恥を恐れないと決めた。

その魅力は、「他人を理解する」というフィールドでは、途端に欠点となってしまうのです。己を強く持ち過ぎるあまり、他人を見る事が出来ない。

これは、カルナさんの「他人を見抜く、理解する目がある」という魅力が、「心の中を暴き過ぎて相手に嫌われる」と裏目に出てしまうのと同じ事です。

 

そしてアルジュナさんの他人を理解出来ない要因はもうひとつ。彼が人を、己を、立場で見てしまう事にあります。

紹介動画で出ているのでそのまま載せますが、テラリンで「軍師として当然の義務です」と口にするシーンがあります。

初めに言いましたが、アルジュナさんは、戦士としての誇りを、英雄としての義務を第一に生きてきました。それが第二の生でも続いています。〇〇として、とまず第一に立場を取ります。それもひとつのフィルターです。変わらない絶対的なものと思ってるが故に、優先させているのでしょう。カルナさんと敵対する時も、「敵として」「対等な者として」「貴様が善につくのなら私は悪につく」「あの男が光なら私は闇になる」と、毎回正反対の位置に居ることを気にしています。

その証拠に、何者でもなくなった体験クエストでは、アルジュナさんは虚無に包まれています。立場なくしては、生きる気力もないような。そしてカルナさんを妬み羨む、本人曰く醜い感情こそ、アルジュナさんを生かすのです。カルナさんへの理解など、関係なく。

……そもそも、「一人の方が気楽で良い」とマイルームで語るような人が、他人を理解する気になるはずがなかったのかもしれません。

 

さて。ついでなので、もうひとつ、ここに書いておきたい事があります。記事としてはここで一区切り付くので、ここで終わっていただいても構いません。

今、FGO界隈は男と男の憎悪ブームで沸き立っています。詳しくは言いませんが。その枠のひとつとして、アルジュナさんとカルナさんが取り上げられる事がしばしばあります。

アルジュナさんが、カルナさんに殺意を持つ者として。愛憎、と言われたりしているのも見た事があります。そしてカルナさんは、それを受け入れる者として。

 

ではここで、ひとつ考えたいと思います。

「そもそも、アルジュナさんはカルナさんに殺意を抱いているのか?」

 

「あの男は私が殺す系サーヴァント」と言われているのも見た事があります。実際にそうアルジュナさんが言ってるシーンもあります。

「そもそも、何故『私が殺さ』なければならないのか?」

 

そして、もうひとつ。

「カルナさんは何故受け入れているのか?」

 

アルジュナさんとカルナさんが好きな人間として、この三点は、今、ここで書いておこうと思いました。と言うのも、この三点をはっきりさせることで、「殺し殺される関係」「お互いに殺し合わなければいけない関係」と誤解されがちの兄弟の関係性を明確に出来るからです。

 

「そもそも、アルジュナさんはカルナさんに殺意を抱いているのか?」

アルジュナさんは先程つらつらと書いた通り、基本的には自分の事しか考えていません。それなのに、カルナさんにだけ異様な妬み、憧れ等の感情を抱いています。その理由に関しては、仮説はありますが、今回は割愛します。

問題は、「アルジュナさんがカルナさんに勝負を仕掛けるのは、その感情によるものなのか」という話です。

その感情に、妬みに、憧れに駆られるがままに殺そうとしているのならば、憎悪による殺意と言っても良いでしょう。今話題の彼(怖いので敢えて名前は伏せます)との共通点も見えます。

しかし。そうすると、気になる所が多々あります。

 

ひとつ。感情に駆られているにしては、手段と立場にこだわり過ぎている。

アルジュナさんはカルナさんと戦う時、「お互いに全力を出すか」「お互いに敵同士の立場であるか」を、どの作品でも毎回確認しています。ただ殺したいのならば、手段なんてどうでも良いはずですし、確実に殺したいのなら全力を確認するまでもありません。

それなのに、毎回確認している。そして、5章でカルナさんと向き合った時、アルジュナさんはこう叫んでいます。

「今度こそ対等のものとして、貴様の息の根を止めねばならん!」

 

ふたつ。「殺す」ではなく「殺さなくてはならない」という言葉。

「カルナは私の宿敵です。サーヴァントとして、幾度と無く刃を交えねばならない」

幕間2でのアルジュナさんの言葉です。アルジュナさんは度々、「貴様は殺さなくてはならない」という意味合いの言葉を叫んでいます。

それが運命だと。それがサーヴァントとしての在るべき姿であり、アルジュナとしての在るべき姿でもあると。

重要なのは、「ならない」という言葉です。そうしなければいけない。そうしなくてはならない。「したい」のではない。アルジュナさんの、心からの思いではないのです。

「殺す。殺したい」ではない。「殺す。殺さなくてならない」。

これ、すごく大切だと思っています。

本当に、アルジュナさんはカルナさんを殺すことを、望んでいるのでしょうか。望んでいるとしても、何故なのでしょうか。衝動的なものでなければ、感情的なものでなければ、「殺さなくてはならない」理由は、何なのか。

 

「そもそも、何故『私が殺さ』なくてはならないのか?」

理由だけなら、いくつか思い付きます。「おまえは私だけが倒せるくらい強いのだから」とか、「私に倒されるくらいでなければ張合いがない」とか、「私以外に倒される姿を見たくない」とか。

今までの事をまとめると、アルジュナさんには、「お互いに全力で」「誰にも邪魔されることなく」「卑怯な手を使うことなく」「敵で、かつ対等な立場で」カルナさんと決着を付けたい理由があります。上記の理由は、どれも当てはまりません。わざわざそうする必要がないからです。

「すべてを万全にした状態で」戦わなければならないのです。万全にならない状態ならば、敵意を抑えて協力する程です。それほどまでに、アルジュナさんにはこだわりがあります。

強い者と、強いライバルと、正々堂々勝負がしたいから?

いえ。そうなると、「殺さなくてはならない」という物は必要にはなってきません。戦うだけなら、勝負するだけなら、いつでも出来ます。生死のこだわりは必要ありません。

「殺さなくてはならない」のです。万全な状態で、正々堂々と、カルナの首を取らなくてはならない。

 

それは、カルナさんの為でしょうか。自分の為でしょうか。今までの流れでいけば、自分の為でしょう。カルナさんの為になる事は今のところ一つもありません。

自分の為に、万全の状態で、首を取らなくてはならない。殺されるリスクを犯してまで、全力の勝負を、しなければならない。したいのではない。しなければならない。

何故?

ここまで突き詰めれば、理由は浮かんでくると思います。

 

生前、卑怯な手でカルナを討った己を、己の罪を、塗り替えたいから――というのが妥当でしょうか。

敵で。卑怯な手を使わず。正々堂々と。「殺さなくてはならない」。そうしないといけない。そうしないと、英雄としての汚点は永遠に晴らされない。

マハーバーラタで、彼は、正確には彼を含めた兄弟は、敵に卑怯者と罵られました。カルナさんを殺した時とは別の場面ですが、戦士として恥ずべきことをしてしまったと、心から後悔しました。その一方で、動けない状態になりながらも堂々と死んでいったカルナさん。どれ程アルジュナさんの目には眩しく見えた事でしょう。

第二の生があるならばやり直したい。あの瞬間を。あの時を。あの汚点を。

5章で、「だからこそ貴様を殺す事を聖杯への望みとした」とアルジュナさんは語っています。

呪いも、宿命も、神もいない。正々堂々とした勝負が出来るからこそ、今こそ、己の業を塗り替えるのだと。

……そんな己の罪への理由ならば、「殺したい」でないことにも説明が付きます。

あの瞬間を塗り替えたいだけ。あの罪を、あの恥を塗り替えたいだけ。塗り替えなければアルジュナで居られないだけ。

ただそれだけのために、もう一度、死んで欲しい訳でもないカルナさんを殺すのですから。

 

「カルナさんは何故受け入れているのか?」

アルジュナさんがカルナさんを殺したい理由が己の罪を晴らしたいが為ならば、何故カルナさんはそれを受け入れているのでしょうか。彼に利はないはずなのに。

と、その前に言っておきますと、「受け入れる」とは、「言うことをきく」ではありません。

終局でカルナさんは、このような事を言っています。

「オレとて聖人ではない。憎まれれば憤りを感じる事もある」

カルナさんはあらゆる事をそれもありと受け入れますが、それはそれとして、彼自身の思いもあります。その辺りはしっかりしている人です。

その上で、受け入れている。それは何故か、と考えたいと思います。

 

ここでひとつ気になることがあります。

上のカルナさんの言葉は、謙虚でもなく真実だろうと考えています。その上で、カルナさんはアルジュナさんに対して、憤っていません。

おまえが羨ましい、妬ましい、この憎悪を、とアルジュナさんが言いながらも。むしろ、戦士としての健全な戦いを提案してくれています。

ここから先は推測が多くなりますが、わたしの考えをここに書きます。

アルジュナさんが、英雄としてではなく、「アルジュナ」として行動する事を、感情を抱くことを、カルナさんは望んでいたのではないでしょうか。

体験クエストにて、カルナさんは「オレの目的など小さいものだ」と言いながらも、マスターにアルジュナさんを「導いてやってくれ」と託していきます。その結果が「アルジュナ」としての道を見つけた幕間2だとすると、カルナさんの方にもそのような望みはあったのではないでしょうか。

アルジュナ」として第二の生を生き、「アルジュナ」を誤魔化さなくとも、並び立つ事は出来る。終局のカルナさんはそのような事を語っています。

以上の事から、カルナさんはアルジュナさんを殺したいとは思っていないと考えます。そもそも彼が無用な殺害を望むとは思っていませんが……。テラリンでも宿業を憂うような発言をしていました。

 

そうなると、完全にこの関係性はアルジュナさんの一方通行になっています。それでもカルナさんは応えます。全力を持って、死を覚悟して。

カルナさんはきっと、アルジュナさんが、そうしなければ生きられないと知っていたのではないかと考えています。「全力を持って対等な立場で貴様を殺さなくてはならない」と叫ぶ彼に対して、戦いを放棄することなど、手を抜く事など、戦士としても、きっと兄弟の縁としても出来なかった。

何故なら、それでこの戦いは無意味だとでも言ってしまえば、アルジュナさんは今までの流れでいくと、完全に第二の生を生きる目的を見失います。

対等な立場で勝負をする事こそ、戦士としての誇りを奪い合うからこそ、アルジュナは生きることが出来る。体験クエストはまさにそのような流れでした。

カルナさんは勝負を約束しながら、アルジュナさんを生かしている。だからこそ、そのひとりよがりの勝負をも受け入れている。

こうして書いてみると、カルナさんがどれほど思慮深いか感じる事が出来ます。わたしの推測も多いですが、しかし。

「正しく生きようと願う者がいるかぎり、オレは彼等を庇護し続ける」

5章のカルナさんの言葉です。テラリンにも似たような言葉が出てたと記憶しています。

――正しく生きようと願う者。

正しい英雄で在ろうとするアルジュナさんも、カルナさんにとっては、正しく生きようと願う者なのではないでしょうか。

そして、アルジュナさんと全力で戦い、たとえ殺されたとしても――カルナさんは、それを誇りに思って微笑むのです。

正しき戦士と戦えた事を。それを幸運だと思いながら。

 

何が言いたいのかと言うと。

アルジュナさんもカルナさんも、心から相手の殺害を望んではいない。

そして、アルジュナさんが己の罪を受け入れることが出来たのなら、殺し合う必要はなくなる。

アルジュナさんとカルナさんは、「殺し合う関係性」とは言いきれない。という話です。

 

以上で、記事は終わりです。

この記事でアルジュナさんとカルナさんの関係性が伝わってくれたらなあと思いながら、締めにしたいと思います。

ここまで長い文章お読みくださり、ありがとうございました。

 

追記

※の間にある言葉について、カルナさんのことを掘り下げながら考察してみた記事で、意見が変化しています。

https://musicbell17.hatenablog.com/entry/2018/07/20/003252

最終的な結論は変わりませんが、よろしければこちらもお読みください。