次は戦場で会いましょう

かんがえたことを書き記す。

病は、自分と戦う、ということ

風邪を引いた時のことをふと思い出した。ひどい熱が出た時、「今身体はウイルスと一生懸命戦ってるんだから、寝てなさい」と母親によく言われた。

横たわって熱さまシートを張る間、頭がぼうとして、身体が痛んだ。これが、病と戦っている証拠か、と内心頷いたのを覚えている。

 

寝るとき。静かなとき。買い物に行くとき。料理をしようとしたとき。その「ウイルス」は、わたしの中で蠢くのを感じるのだ。

「早く仕事を見つけないといけないのに、こんなことをしていても良いのか」

「早く見つけないと、お金がなくなってしまう」

「こんなに堕落的な生活をしていて良いのだろうか」

わたしの中にいるわたしは、常に声を上げている。それはもうひっきりなしに。りりりり、と窓の外で鳴く鈴虫よりも騒がしい。

思えば仕事中もそうだった。わたしは求められている仕事が出来てないのではないかと、常にわたしに向かって訴えていた。誰に言われるでもなく、わたし自身がずっと言っていた。

そういうくせはもうやめようと思っていたのにな。と言う自分と、なかなかそうはいかないだろと呆れる自分もいる。わたしが常に五人くらい、わたしの中で会議をしている。やめてくれないかなあ、と思っても、なかなか終わりは見えない。恐ろしいことに。

 

その会議に他人が入ってきた瞬間、勢いよくパンクする。実家ではよくあった。

ああしたら、こうしたら、こうしなさい、こうした方が良い。

それが、調子が悪いときのわたしにはこう聞こえる。

ああしろよ、こうしろ、こうしろ、こうしないと状況が悪くなるぞ。

提案ではなく、強制と脅しに聞こえる。もしくは過剰な期待。ねじ曲げて受け取ってしまう自分に、恐怖を感じずにはいられない。これは実家とSNSから距離を置いたら、かなり改善された。しかし家にひとりでいるとひとりでいるで、わたしの中の会議がうるさい。難儀なものだ。

 

この現象は、彼氏さんが家に居ると一気に起こらなくなる。彼に「どうしよう」や「つらい」や「今気持ち悪くて……」と打ち明けると、ごちゃついた会議がすーっと解散されていくのを感じるのだ。

彼は大抵「どうしようね」と返す。それだけなのだが、「それだけ」がわたしにとってはありがたかった。

わたしは、ツイッターにも、友人にも、滅多に「つらい」「苦しい」と話さない。「どうしよう」は言えるけど、切羽詰まった顔で言えない。「さーて、どうしようかな」くらいのノリが精一杯だ。

何故だか言えないのだ。他の人の「つらい」は聞けても、自分から話すことはどうもはばかられてしまう。心のどこかで言う必要がないとか、言っても解決するわけじゃないとか、そういうひねくれた好母ひおりがいるのかもしれない。かっこつけかもしれない。

 

それでも自分の管理は自分でしていくしかない。どんなにひねくれてもかっこつけていても、我慢していればいつか倒れてしまう。9月の中ごろのわたしのように。

彼氏さんはそういう意味では、ウイルスと戦うための場所を用意してくれていた。言葉も思考も、結局は自分で自分と戦いながら、これだというものを掴んでいくしかない。しかし、場所がなければ出来ることもない。場所を用意してくれるというのは、本当にうれしいし助かることなのだ。

病は、自分と戦うということだけれど、ひとりで戦うとはノットイコールだ。それは忘れないようにしたい。

 

ここまで読んでいただきありがとうございます。

病は、だけでなく、人生は、とも言えそうですね。

 

※追記

自分で読み返して、負の感情を言えない理由に気付きました。ああ、順序が逆なだけですね。

ああしたら、こうしたら、と言われるのが怖いから、言えなかったのですね。かっこつけでもなければ、ひねくれでもなく、ただの自衛手段を選んでいたのかと。

友人やツイッターに「つらい」「疲れた」と言えるようになったら、元気になったと言えるのかもしれません。