次は戦場で会いましょう

かんがえたことを書き記す。

決断の時、必要なもの

彼氏さんとの間で、住まいを変えようという話が出ている。わたしは実家暮らしで、彼はひとり暮らし。わたしは家を出たくて、彼は今の部屋の収納のなさが不満らしい。引っ越しを決めるきっかけとしてはぴったりだった。とりあえず、付き合い始めから半年経ったら一緒に暮らそうという話で落ち着いた。時期としては10月くらいになる。少し肌寒くなってくる頃だろうか。


さて、これを読んで、あなたは今何を思うだろう。
「半年は、はやい」と思うだろうか。「半年は、なかなかだ」と思うだろうか。「10月か、家を決めるには良い時期だ」と思うだろうか。「悪い時期だ」と思うだろうか。


ネットの海が広がっている時代なので、「同棲 時期」で検索すれば、同棲するにはいつぐらいがちょうど良くて、いつぐらいはタイミングが悪いかが、山ほど出てくる。それはもうわんさか検索結果に並んでいる。
そういうのは、大抵同じ事が書いてある。いわゆる「平均」だ。


ここからが、今日の本題です。
わたしは、そういう無数の意見や平均の言葉は、思いの外、わたしには関係ないのだと思っている。というより、きっとそうなのだろうと、最近実感した。


たとえば、無数の意見は、わたしや彼ではないので、二人がどう過ごしているかを知らない。
昨日、まったく料理をしない彼の部屋に、フライパンと包丁、アルミホイルにキッチンペーパー、わたしの分の食器や収納ラック、醤油や料理酒の調味料を置かせてもらった。その後、二人で料理をした。献立はわたしが考えて、作業は彼に手伝ってもらった。その時に出たごみは、彼が捨ててくれた。わたしも彼も、まったく不満そうな顔はしていなかった。手際は悪かったけど、それ以上に楽しかった。
さっきの言葉だけだと、そういう事情は知らない。
一緒に暮らす準備のようなものを、既にしている。毎週会うときに、その練習をしようと約束している。昨日に関してはニトリとスーパーの往復しかしていなかったので、デートらしいデートはしていない。でも、とても楽しかった。
そういう事情も、分からない。口にはしていないけれど、二人で暮らすということを、彼もわたしもすでに前から考えていたのだと思う。恋愛とは違う信頼のようなものが、すでに生まれつつあったのだと思う。


そして、これは話す人に毎回驚かれるのだけれど、付き合ってその日に、というか数時間後に、わたしは彼に「結婚する気ってあります?」と確認をしている。彼の返事は、「あるけど、お金貯めないと」との一言だった。わりとあっさり、将来はする気持ちがあることを教えてくれた。
わたしは、彼氏とは、将来結婚する気持ちがある、時間をかけて愛せるような人のことを言うのだと思っていたけど、周りの人に話すと口をそろえて「その質問、早すぎない!?」とつっこまれた。「付き合ってから、決めるんじゃないの!?」と言われた。
わたしは、わたしが定期を落としたり、帽子を忘れた時に一生懸命探してくれて、遠くても一緒に取りに戻って、嫌な顔ひとつせずに「僕が一緒にいるときはまた被ってきてもいいよ」と言ってくれたその時から、この人とは付き合っても良いと決めていた。つまりそういうことだ。
まだ、その直感が間違っていたとは、一度たりとも思ったことはない。


「無数の意見」も、「平均」も、わたしのそんな思いや決意は知るよしもない。もっと言うと、その情報は、わたしや彼のことをほとんど何も知らないのだ。
知っている自分と、知らない自分以外。何かを決断するとき、何を信じれば良いのかなんて、一目瞭然のような気もするのにね。
自分以外の何かを頼りにしてものを決めるのは簡単だ。だって、間違っていたときに、自分以外のせいにできるんだもの。あなたが間違っていたと責めることができるんだもの。
だけどその分、後悔は絶対大きくなる。「あの時、自分を信じていれば」と後悔するなら、最初から自分を信じたいと思う。頼るものがあるのならば、その頼るものを頼ったのは自分なのだと、自分を信じたい。


住まいを変えるという大きな決断ですが、案外あっさりと決められたのは、彼と、それ以上にわたし自身が抱いている彼への信頼のおかげなんだろうなあと改めて思います。


ここまで読んでいただきありがとうございます。
「覚悟」には、「信じられる自分」が必要だ。