次は戦場で会いましょう

かんがえたことを書き記す。

相手と自分の声を聴く。

低気圧でうだりつつケータイを見てたら面白くて参考にしたい記事を見つけたので、ここに紹介したい。

https://www.akiradrive.com/hanashiai-kikiaukoto/


ここのサイトさんは、「異性(パートナー)の運勢を上げる女性」=「あげまん」になる理論が、わかりやすくかつたくさん書かれています。あげまんって揚げ饅頭の略かと思ったら違うのね。
これだけ聞くと「異性なんて自分には関係ないしな〜」と思う方もいると思いますが、異性同性に関わらず互いのことを知りながら物事を前向きに解決していく方法や考え方が書かれているので、思わず時間を忘れて読んでいました。


中でも「おおっ」と思ったのが、上記の、話し合うとは、言いたいことを言うのではなく、聴きたいことを聴き合うということ。
いや、まことに、本当にその通りだと思う。
「言いたいことを言う」のは、究極的に言ってしまえば、ただ言えればそれで良い。感情のはけ口として相手にぶつけてすっきりしてしまえば、それで良い。そういう意味では、いわゆる「愚痴をいうこと」と、仕組みとしてはそんなに変わらないんですよね。
でも、聴き合うというのは、そうじゃない。相手の言葉を聞いて初めて、自分と相手がどうすれば良いのかを一緒に考えられる。
お互いに納得することと、お互いにすっきりすることは、似てるようでまったく違います。そこから前に進めるか、同じ事を繰り返すか。成長できるかできないか。「言いたいことを言う」と「聴きたいことを聴き合う」の違いは、そこにあるではないかと、しみじみ感じました。成長とは、相手がいないとできないですからね。


こういうのを読んでると、昔のわたしは、こんなことを思っていました。
「じゃあ、これを実現するために、自分は『我慢』をしないといけないのか?」
相手が喜ぶために、いろんなことを我慢しなくてはいけないのか?相手を尊重するために、自分を殺さなくてはいけないのか?
数年前のわたしなら、間違いなくそう考えていた。そうして、そんなことはしたくないと、読み始めてすぐに目を背けていただろう。
結論から言えば、それはちがう。意識はしないといけないけれど、我慢をする必要はまったくない。
そもそもこれは、「お互いに話し合いたい」と思う人に向けた記事だ。今ここにいるわたしがそう思っていなければ、いくらでも無視できる。ひとつの記事、ひとつの情報なのだから。
そう思うならしなくたって良い。ストレスになるなら読まなくても良い。その選択肢を、昔のわたしはたびたび忘れている。「よくなるため」なら、全部やらなくてはいけないと思っている。
これは改善方法であって、義務ではないのだから、わたしは、わたしのしたいことを、わたしのできる範囲で、やれば良いのだ。それをしたいけどできないと言うのなら、できる方法をまた探しに行けば良い。
こう考えると、いつかのわたしはわたしをどこまでも追い詰めていたんですね。自分を認めるとは、もっと自分をよくすることではなく、できない自分に「できないんだね」と声をかけることなんだろうなあ。


ここまで読んでいただきありがとうございます。
「できない」ことは「悪」じゃなくて、「途中」なだけなのかもね。