次は戦場で会いましょう

かんがえたことを書き記す。

ぶきっちょさんVS料理

最近、料理を知った。料理という存在は知っていたけれど、最近、するようになってきた。家庭科の授業でしかまともに包丁を握ったことがなかったけれど、あることをきっかけに、料理をしても良いと思えるようになったのだ。わたしは昔から不器用でそそっかしくて、ミス平均点だけど家庭科は2を取るくらい、それはもうドジを踏みまくった。高校を卒業するくらいまで、危ないから台所に立つなと言われていた。家庭科の授業でも、包丁を握るのは数分以下で、ほとんど皿洗いをしていたような気がする。
料理をするひとは、中身もしっかりしていて、手先が器用じゃないと出来ないものだと本気で思っていた。「(不器用な)男だって、料理するよ」という番組や本もあったけど、クッキングパパを読んで育ったわたしにとって、「手先が器用な男」のものだったんだろうと考えていた。
ずっと実家暮らしなので、黙って座ってても大抵母親が料理をして、出してくれる。それはとてもありがたいことなんだけど、あまりにもやらなさすぎて、このままで良いのかなあ、でも自分じゃなあ、とやきもきしていたのは確かだった。
片思いをしていた男の子にから揚げ弁当を作ろうとして、母親と大喧嘩もした。そのせいで、料理に良い思い出はすっかりなくなってしまった。


そんなある日、精神的な病にかかり、休職中に別の友人のおうちでお菓子作りを経験した。その時はクッキーを作り、お手伝いもあって、うまくいった。バターと小麦粉と砂糖がひとつの生地になっていくのが、魔法のようで面白かった。混ぜてこねるだけであんなに色鮮やかに固まっていくものなのかと、あじをしめた。
少しずつお菓子を作るようになった。でも、お菓子と料理は、また別物だろう。そんな敷居の高さのようなものを感じていたわたしの偏見を、あるひとりのひとが、まるっとくつがえしてくれたのだ。


某仕掛けた企画に挑戦する人をモニターで見守る番組に出てた、平野レミさんである。料理のひとと思われがちだけど、あの人、もともとはシャンソン歌手である。声がはって大きいのも頷けますよね。
その時レミさんは、ハンバーグを作った。「こんなものね、こうすればいいのよ!」と、大胆に包丁を叩きつけ、大胆にまとめ、大胆に焼いた。でも不思議ととてもおいしそうだった。
番組が終わった後、何気なく調べたら、レミさんのサイトを見つけた。作ったハンバーグを始めとしたレシピが並んでいて、その時、こう思った。


あの大胆さでできるなら、不器用な自分にも出来るのかも。


何より、レミさんは、楽しそうに料理をする。弾けるような笑顔でいつも何かを作る。クッキングパパにも毎巻載っていた、「料理って楽しいんですよ-!」を体現するようなお人だ。今思えば、料理って良い物なのかも、と思い直すきっかけにもなったんだろう。


結果から言うとハンバーグは3回作って2回失敗したのだけど、まあ、今度またリベンジします。
そして、その第1回は、信頼できるフォロワーさんが家に来たときに食べて貰った。わりと焦がして形も崩れたけど、おいしいよー、とご飯までしっかり食べてくれたことを覚えている。
それが何ともいえずに嬉しかった。料理って良いな、と、じんわりとした気持ちを胸に感じ取った。


今、平野レミさんに感謝の意を込めて、プラス、この人が考えたものなら信用できる!と、「レミパンプラス」と「クロの包丁」を残業代はたいて購入し、彼氏さんの家に置いてもらっている。
豚眠菜園とお味噌汁を彼氏さんと一緒につくって、豆腐を床に落としたりしたけど楽しい一時になった。
不器用でも、へたでも、楽しいしおいしかったから、良いよね。


まさより楽しさで惹かれるのは、とても良いことだと、今なら思えます。ありがとう、レミさん。かさなるスチーマーとナイフなハサミも購入を検討しよう。


ここまで読んでいただきありがとうございます。
次は肉じゃがを作ろうかな、と思える幸せもあるんですね。