次は戦場で会いましょう

かんがえたことを書き記す。

「幸せ」は一体どこにある?

質問です。「あなたは、幸せですか?」

この問いかけをしたら、おそらく三者三様の答えが返ってくるのではないでしょうか。ちなみにわたしは、幸せです。なので、今日のこの記事を書こうと思いました。幸せを感じずして、幸せの在処は書けないからね。

 

では、まず、「幸せ」って何でしょうかね。

暖かくて、胸に心地良い波のように広がるもの。あ、わたし今、幸せだ、と感じること。とても良いものだから、世界中の人が、探したがります。

どこにあるのだろう。何に隠れているのだろう。わたしはどうすれば、幸せになれるのだろう。

幸せになりたい。幸福になりたい。だから、掴み取りたい。だから、手に入れたい。

「幸せ」を人生の目標にする人も、いますよね。

 

じゃあ、どうしたら幸せになれるのでしょう。

……。

……この問いかけを聞いて、あなたはどう思いましたか?

何も思わなかったなら、ないで、良いと思います。そこが知りたかったと思う人もいると思います。

でも、これを問う前に、まず考えなければならないことがあるのです。

 

幸せは、「なる」ものか?

掴むものか。「なる」ものか。「手に入れる」ものなのか。幸せって、そもそもそういうものなんでしょうか?

実は、答えは、すでに前に書いてあります。少し前に、遡ってみましょう。

「あ、わたし今、幸せだと感じる」。幸せは、「感じる」ものです。「感じる」ということは、つまり、目に見えないということ。

目に見えないものを手に入れることは出来ません。形のないものになることは出来ません。わたしは幸せを知っていますが、幸せを手に入れてはいませんし、持ってもいません。

わたしは知っています。わたしが、どういう時に幸せを感じるのかを。わたしが、何に幸せを感じるのかを。わたしは、「自分が幸せに気付く瞬間を、知っている」のです。

 

ここからが、今日の本題です。

幸せとは、気付くもの。幸せとは、知るもの。自分は幸せにいつ気付くのか、知るもの。

逆に言えば、「気付かなければ、分からない」のです。自分にとっての幸せを知らないと、いくら一般的に「幸せを感じる」ことが起きたとしても、自分がそれに気付かなければ、感じられないものなのです。

気付くには、あ、自分はこういうとき幸せなんだ、と、知る機会が必要になる。その機会は、誰かの声を聴いたり、誰かの顔色をうかがったり、誰かのことを考えているうちは、決して訪れない。「誰かの笑顔が見るのが幸せ」というのも、「自分が幸せ」なのが終着点でないといけない。義務と幸福は違うのですから。

 

気付くことに必要になるものは、裸一貫の自分の心と、ひとりの時間。ただそれだけです。誰かがいてはいけない。何かがあってはいけない。自分のことは、何か別のものがあったら途端に気づきにくくなります。必要最低限のものだけ揃えて、初めて気付けるものもあります。多くが良いとは限らない。なぜなら、少なくて大切なものが見えなくなってしまうから。

ここで、一番大切なことを書きます。

「誰かが幸せな姿を羨ましく見ているうちは、自分は決して幸せを感じられません」。

自分で、気付くものだから。自分で、知るものだから。あなたの幸せを知るのは、あなたしかいないのだから。誰かの幸せと自分の幸せが偶然一致することはあっても、自分の幸せを知らなければ、それは分からない。

探すのではない。気付くのだ。今そこに落ちているかもしれない。隣にあるかもしれない。どこにあるかは分からないけど、今あなたが今の生活に不自由を感じていないのなら、絶対にどこかに落ちているはずなのです。

 

ひとつ、間違えてはいけないのは、「自分はこれをしている時が幸せであるべきなのだ」という考え方。これは、幸せではありません。これは、何かのための義務です。

これに幸せを感じているからこそ、自分という人間なのだ。それは、幸せではありません。自分のアイデンティティに、執着しているだけです。

幸せは、設定するものではありません。幸せは、人間のステータスでも、パラメータでもありません。歩いてきた道を振り返ったときに、初めて輝いて見える、歩いてるときには気付かなかった小さな花のようなもの。人を豊かにするものです。人を縛るものではありません。

 

幸せが見つからない。幸せなんてどこにもない。そう思っている人は、今の自分を振り返ってみてください。足を止めて、裸の自分と向き合ってみてください。

誰かと比べていませんか。誰かを気にしていませんか。誰かにしがみついていませんか。

あなたの幸せは、あなたにしか分かりません。あなたが気付き、知るものです。誰かに与えられるものでも、待っていても上から降ってくるものでもありません。

幸せとは、目に見えないものなのですから。そこにあっても、気付かない限り、分からないのです。

 

ここまで読んでいただきありがとうございます。

失って初めて気付くっていうのは、つまりそういうことなのかもしれないね。