5月 言えない苦悩
初めから、本能的に「合わない」と感じていたのではないかと、今は考えたりします。
仕事内容自体は、苦ではありませんでした。電話のやり方にあまり慣れていなかったくらいで、そこに不満はありません。
お昼は直々に教えてくれる上司と、同じ会社から派遣されてる先輩とランチに行っていました。面倒だとは思いませんでしたし、むしろ一緒にごはんを食べるのは好きな人間だったので。
「フレンドリーで優しい職場」と聞いていましたが、その通りでした。お仕事中、特に問い合わせがなければ、日常のことだったり、趣味のことだったりを話したりして、和やかな雰囲気は流れていたと思います。
ただ、その雰囲気は、6月頃になってようやく訪れました。
5月、わたしは、その職場の一番の繁忙期に入ってきてしまったのです。2年に1度、2ヶ月もないくらいの、一番忙しい時期です。
わたしはそこで扱うソフトの勉強をしていて、「分からないところがあったら何でも聞いて」と直属の上司に言われていました。よくある流れではないかと思います。
しかし、その繁忙期の様子を横目で見ていて、わたしは腰が引けてしまいました。上司のデスクはすぐ横にありますが、デスクトップPCで顔もよく見えません。何をやっているか分からないけど、忙しそうに見えます。
話しかけたら電話が来ました。逆に、雑用を頼まれてしまいました。
そんな生活が二週間。「不満はない」と思っていました。社会人とはこれくらい忙しいものなんだなあ、と感じていたくらいです。
けれど、ひとつ、この時点で致命的な事が生まれてしまいました。上司に教えてもらいたくてもなかなか言えなくなってしまったのです。
わたしは昔から考え過ぎる悪いくせがありました。「ここで話しかけても良いものか」「ここで話しかけても迷惑にはならないものか」「暇そうかどうか、大丈夫か」ありとあらゆる心配がどんどん募っていき、頭がオーバーヒートしそうになっていました。
傍から見たらただただ固まって、何もしてない人です。
怒られた訳ではありません。「ちょっと待ってね、これが終わったらね」と言われて自分の事を後回しにされていただけです。……けれど、その時、わたしは「今忙しかったんだな、自分の配慮が足りなかったな」と思ってしまったのです。
配慮を考えて考えて話しかけられなくなってしまっては、本末転倒も良い所でした。
5月の終わり、何回か「大丈夫?困ったら言ってね」と念押しをされました。わたしは「すみません」と謝ることしか出来ませんでした。オーバーヒートして固まってる様子を見て話しかけられたのかと思いますが、ここまで来るとタイミングのことを考えすぎて勉強にも身が入りません。
いかんせん隣の人の顔が分からないというのが、わたしにとってはずっと、これからも苦しめられました。
当時のわたしは、教えてくれる人に迷惑をかけることは悪だと考えていました。迷惑をかけないように、相手に気を遣わせないように、こちらが気を遣わなくてはと、必死になっていました。
わたしに勉強を教えてくれる当時の上司は、わたしに対してとても気をつかってくださっていました。それが手に取るように分かるので、かえって辛くなっていました。
この時点で悪循環は始まっているのですが、それに気付かぬまま、6月を迎えることになります。
4月
入社式、初日、至って順調でした。
同期との仲も良好で、上司とも程々の距離を保って接し、1ヶ月に1度の勉強会にも精力的に参加していました。
今でもよくお世話になる主任さんに、勉強会でこう言われたのを覚えてます。
「好母さんは文系だけど、この業種向いてないとかは全然ない。長いこと人に教えてきてて、ダメな人はもう駆け出しの今の時点でダメだって分かるけど、好母さんは大丈夫だよ。一年間頑張ろう」
これ、めちゃくちゃ元気出ました。と言うのも、この褒め言葉、新社会人として不安だった私からしたら完璧だったんですよ。
「ちゃんとやっていけるのか」という漠然とした不安に、向こうの長い経験で体感したことを語ってくれた上で「大丈夫」と言ってくれる、この頼もしさったらないですよ!しかも内心思うだけでなく、こちらにしっかり伝えてくれる。上記は省略してますけど、実際はもっとしっかり説明してくれて、良い人だと感動しました。
とにかく不安だった私は、周りの「大丈夫大丈夫」「好母さん、文系だけどいけると思うよ」という言葉に支えられ、ますます自信が付いていきました。
ここでちょっと誤算が。弊社、詳しく言うのは避けますが、客先でのお仕事が主だったのです。入るまで知りませんでした。今就活してる皆、企業研究はしっかりやろう。
今いる職場で仕事をしない、ということで更に不安がありましたが、そんな不安になっている暇もなく。
なんと客先でのお仕事依頼が、好母ひおりに。
会社に入って二週間経たず、私は、業種の勉強をする間もなく、面接の練習に時間を割くことになりました。
理系の同期を差し置いて、自分が仕事を一番に貰ってしまいました。
とても驚き戸惑いましたが、これはチャンスだ、と私は意気込みました。これで頑張ってお仕事をこなして、同期に追い付いていくぞと、やる気に満ち溢れていました。
幸運にもお仕事内容は、電話対応が主でした。まだ勉強が追いついてない身でも、最低限やることは出来るだろうと喜んでいました。
面接は、綿密に重ねた練習の甲斐もあり、滞りなく行われました。緊張したものの、育まれていた自信のおかげもあり、しっかりと受け答えする事が出来ました。
4月の終わり、正式にお仕事が決まり、私はGW明けから新しい所に行くことになりました。
私はとにかくドキドキしながらGWを過ごします。
あの駅、どうやって行くっけな、調べとこ。初めてでも大丈夫だって言ってたけど、緊張するなあ。社会人なんだから、しっかりお仕事しないと。
そんな事を思っていたGWの中日くらいでした。
休みの日だというのに、主任さんから電話が。何か私やらかしたっけ!?と思いながらも、慌てて電話に出ました。
主任さんは至って冷静でした。もしもし、休みなのにすみません、と言ってきたので、はい、と返しました。
「急な話なんですけど、Sさんが亡くなりました。取り急ぎお伝えしておきます」
え?と思った以外、この時の記憶、あまりありません。
好母さん以外の新人の連絡先知らないから広めておいて、と言われたのは覚えています。
電話を切ってから、しばらく呆然としていました。入社するまでにマンツーマンで教えて貰った記憶がふわふわしていました。
泣きもしませんでしたし、悲しみでご飯が喉を……という事も一切ありませんでした。Sさん亡くなったんだって、と家族に話す時も、自分は冷静っぽかったと記憶しています。
ただ、お世話になったから、1回くらい手を合わせておきたかったなとぼんやり考えていました。
この会社で働くきっかけになった人が、ずっと自分の上司のままでいるとは思っていませんでした。異動もあるかもしれない、退職もあるかもしれない。その辺りは覚悟の上でした。
でも、まさか死んでしまうとはまったく、考えてもいませんでした。会社で思いを馳せようにもGW明けからは新しい環境です。
気を取り直して、Sさんが最後に送り出してくれたんだから、新しいところで仕事を頑張ろう、と思いました。
……今思うと、これがいけませんでした。頑張ろうが強くなりすぎたと思います。亡くなったのは偶然であって、それで片意地になる必要は何もありません。
そして何より、困った時に帰る場所がなくなってしまいました。そんな状態のまま、私は5月のGW明けを迎え、面接の時Sさんと二人で歩いた道を、ひとりで向かうことになりました。
就活の時期
私は、就活を始めるのがものすごく遅かったです。というか、興味が沸きませんでした。今でも学生さんと話をする機会がありますが、企業研究とかしてる子を見ると、素直にすごいなあと感心します。
就活当時、私は夏くらいにまともに腰を上げました。
私は文字を書くのは好きだったので、友人のエントリーシートを書く手伝いもよくしていましたが、自分の就活はギリギリまでサッパリでした。今思えば馬鹿だなあと思います。心底。あいつの自己アピール考えてスカイプでアドバイスしてる暇があったらお前の自己アピールを聞け、一年半前の私。
面接は、最初は苦手でした。
知らない人に自分をアピールする、という感覚が、まったく掴めませんでした。私は五社くらい落ちて六社目でゴールインでしたが、そのうちの二社は完全にしどろもどろでした。よくあるコミュ障のあれです。
自信が付いたのは、小説を書くのが得意、とエントリーシートに書き始めた時からです。人間とは不思議なもので、流石に人生を捧げた執筆活動をアピールすると、面接する時に自信が付きました。好きなものってアピールして良いんだ、と思ったのを覚えています。結構当たり前のことを忘れていたみたいです。
小説のことを書けば良いじゃん、とアドバイスしてくれたツイッターの友には、今も頭が上がらないです。ありがとう。
そうして入った御社。まったく知らない、研究もしてない、バリバリ文系だったのにバリバリ理系の職種の会社でした。
今でも覚えています。面接をしてくれたのは、恰幅が良くてお相撲さんみたいな上司でした。面接の時、文系の自分にもチャンスはあると言ってくれました(他の理系の会社は君には関係ないねと軒並みスルーだった)。
この上司の下だったら働けるかもしれない、と思いました。私は給料も休みもあんまり考えてなくて、会社の雰囲気と人の雰囲気を一番大事にしていました。今でもこの会社に入ったことに悔いはありません。
11月、ギリギリ内定を貰えました。あまりにもギリギリだったので、内定式にも出ていません。同期と初めて顔を合わせたのは、ちょくちょく開催された会社の勉強会でした。
自信を持っていた私は、にこやかに堂々と話すことが出来たので、そのお相撲さんみたいな上司(以下Sさん)にコミュニケーション能力を買われた……らしいです。今では実感が沸きませんが、Sさんの目にはそう映ったみたいです。
私は内定を貰い、すぐに勉強会に出ました。同期が理系だったので、私はSさんとマンツーマンであれやこれやと知識を教わりました。
Sさんは真面目だけどもひょうきんな人でもあったので、ちょくちょく話が脱線しては、関係ない話で一時間潰れることはザラにありました。私はSさんの話が結構好きだったので、勉強会が終わって同期がさっさと帰る中、Sさんの話に付き合っていたりもしました。今思えば、そういうところが買われたのかも。
社会人になるにあたり、不安はありました。親からは「もう社会人になるんだから、あんたもしっかりしなさい」と口を酸っぱくして言われました。
この時は、しっかり頑張ろう、社会人なんだから、と自分に言い聞かせ、暗示をかけていました。新しい環境、新しい勉強、数式や英語が飛び交う業種にまずは慣れようと。
今思うと。もう少し肩から力を抜けば良かった、と感じます。そして、しっかり頑張ることは、失敗をしないことではないのだと、当時の自分に言いたいです。
失敗しても良いし、良く見られなくたって良いから、とりあえず隣の人に話しかける勇気を持て。他人のことは考えすぎるな。
今ならそう声をかけるだろうなあ。暗示をかけてたって、何も進みはしないんだから。
はじめに
ブログを立ち上げてみました。
元々長文を書くのが好きで、ツイッターの140字だと足りないことも多々あったので、こっちのが性に合ってるような気がします。
とは言いつつ、このブログを立ち上げたのには一応理由があります。
一番の理由は、「自分の体験をはっきりと見れる形で記録に残しておきたかったから」です。
この一年間、社会人になって一年目、私は貴重な体験をしたと思います。ただ、人前に立って堂々と語れるかと言われると、そうではありません。
この体験は「失敗体験」と呼べるものでした。社会人になって一年目、私はどうしようもないくらい「ダメ」になりました。
記憶力が極端に悪くなり、電車にいるだけで涙が出るようになりました。食事に味がなくなり、好きなジャンルにもアイドルにも興味がなくなり、何とかして己を取り繕うとしましたが、結局メンタルを病んでしまいました。
会社が悪かったのか?と思いました。それもあります。後々話しますが、私の職場はブラックではありませんでした。ただ、相性が悪かったのです。
運が悪かったのか?と思いました。それもあります。ある意味、私はドラマティックな展開を今年一年味わいました。ブログに書こうと思ったのも、このある意味ドラマティックな展開は残した方が良いなと思ったからです。
自分が悪かったのか?と思いました。当時は何とか「自分が悪い」を逃がして精神の安定を測ることに必死でしたが、今なら自分も悪かったと思うことが出来ます。
「病み備忘録」と称していますが、私はこの備忘録を、至って前向きな気持ちで書こうと思います。
暇な時にでも、少しずつ綴っていこうとおもいます。忘れないうちに。
誰に語るでもないとりとめのない話ですが、暇な時にでも覗いてくださるとありがたいです。