次は戦場で会いましょう

かんがえたことを書き記す。

「どうしてこうなってしまったの」が説明できる物語のはなし

先日、姉が面白い動画を見つけてきまして。一緒に見ていました。

「ゲーム解説」という名目ですが、この動画、システムやストーリーが「何故面白いと思えるか」まで解説、考察しているのですよ。

個人的に興味が惹かれたのは、ドラゴンクエストには何故温かみが感じられるのか」というものですね。わたしが真っ先に思いついたのはキャラクターデザインでしたが、細かいテキストへの気配り、初心者にも解るように丁寧に作られた導入など…なるほどと頷いてしまう物ばかりでした。かなりおすすめです。DQ以外にもMOTHERやMOON、ゼルダやマリオ、ポケモン、FF、ラスアスや逆裁など、幅広いジャンルを扱っていますので、興味がある方はぜひご覧ください。逆裁も面白かった。

 

さて、「何故面白いと思えるか」。これを踏まえて、わたしも少し前から考えていた事がありますので、今日の記事はそれを書こうと思います。そろそろこのブログ立ち上げた本来の用途も進めたいけどね!

 

はじめに。今回は「面白いと思える物語」に的を絞っています。これが「面白いコンテンツ」とかになってくるとまた話は違ってきてしまうので、ご注意ください。

面白い物語とは、どういう物なのか……少しずつ考えたいと思います。

 

今回上記の解説動画を見ていて、ゲームが人気になった秘訣は、ゲームをプレイする人にいかにわかりやすくシステムを理解させ、物語が頭に入ってくるかということが幅広いジャンルで挙げられていました。ストーリーの中身ではなく、仕組みの話です。

確かに、その通りだと思います。いくら内容に深みがあったとしても、「このゲーム、中盤が面白いから!」と言われても、序盤で躓いてしまっては元も子もありません。

実は、小説界隈でもこのような言葉があります。「小説は最初の三行が勝負」。昔目にした言葉なので出典は忘れてしまいましたが、小説の賞の審査をする際など、初めの数ページで面白いと思われなければ、その作品は落選だそうです。膨大な量があるので、いちいち中身を見ていられないという事ですね。

 

では。仮にそうやって、序盤で、物語に読む(見る)人を引き込めたとしましょう。インパクトのある冒頭。ショッキングな出だし。

その先で、何を書けば良い?

その後、どうすれば人を感動させられる?

人が物語を面白いと思えるためには、何が必要なのでしょうか。

 

最近わたしが見た物語の中で、面白いと思った作品が二つあります。

舞台「オセロー」。かの劇作家シェイクスピアが描く、四大悲劇の一つです。

映画「プリキュア。最近公開されたオールスターズの物です。

媒体もジャンルも時代も結末も、物理的な次元まで異なるこの二つの物語。何故この二つが同時に引き出されたのか、一見分かるはずもありません。

 

しかし、この二つの物語には、ひとつの共通点がありました。

 

「オセロー」の終盤、デズデモーナが嘆きながら言います。

「ああ、どうしてこうなってしまったの?」

プリキュア」の中盤、はなが涙ながらに叫んでしまいました。

「どうしてこんな事になっちゃったの!?」

 

これを聞いたとき。わたしはすんなりと頭の中で、こう理解しました。

「それは、すべてイアーゴの悪事のせいだ。裏で動くイアーゴにずっと振り回されて、何の罪もないのにこんな事になってしまったんだ。純粋に心配してただけなのに、ずっとデズデモーナは苦しめられてきた」

「それは、今までみんなで協力してきたのに、急にひとりになってしまったからだ。まだはなは中学生で、こんな苦しいことをひとりで背負えないのに。しかもこんなに否定されていたら、精神が摩耗してしまう」

ここまではっきりと言語化出来ていたとは思いませんが、少なくとも、「どうしてこうなってしまったの」というキャラクターの苦しむ言葉に、「それはこうだからだ」という理由は付けられます。

ここでのポイントは、事象と感情が結びつくかどうかです。

 

例えば、RPGもので、急に村が襲われて全焼したとしましょう。主人公が泣きながら叫びます。

「どうしてこんな事になってしまったんだ!」

「村が襲われたから」

…………。それで、そこから、どう言いましょう。事象は分かります。

では質問です。「どうして主人公は泣いているのでしょう?」

親しい人がいたから?家族が殺されたから?村の大切な物が無くなってしまったから?

あまりにも情報が少なすぎます。何も分かりません。何が起こったかは分かっても、どうしてここまで感情が動いているのか……?

わたしは、この理由を描いていくのが物語の八割だと思っています。

書き手が本当に言いたい事、本当にやりたい事。それを成すためには、事前の準備が必要なのです。ここを怠っては「面白い」は生まれないのではないでしょうか。

なぜならば、上のわたしのコメントを見れば分かりますが、「純粋に心配してただけなのに苦しんでいる」「今までみんながいたのにひとりになっている」と両者ともに「今まで」とのギャップがあります。

世間に「ギャップ萌え」という言葉は、既に浸透していますが。「面白い」と思われる物語にはすべてギャップがあります。

敵との戦いで、ピンチからの一発逆転。(形勢逆転、苦しみ→勝利のギャップ)

今までお世話になった人との、涙ながらの別れ。(立場の逆転、生→死のギャップ)

最近話題になっている、いわゆる異世界物の漫画、小説などは、このギャップが手軽に手に入れられるのではないでしょうか。

 

しかし、これらを描くには、その前の状態をいかに描くかが勝負になります。

物語の読者としてはっきり言いますと、今まで話に全然出てこなかったキャラが死んだところで全然悲しくないです。

今までのどんなコンテンツでも良いのですが、キャラクターが死んで悲しいと思えたとき、必ず理由があるはずです。

それは現実のわたしたちと同じです。ニュースで知らない人間が涙ながらに訴えても視聴者は泣かないのと同じです。(各々何かを思うことはあっても)

「何が起こって、どうしてこうなって、今キャラクターはそれを思っているのか」。それが見ている、読んでいる人にすっと理解出来る物語こそ、「面白い」のではないでしょうか。

 

「読者の心を動かす物語をかくにはどうすれば良いのか」。創作者をしていると、たまに見かける悩みではあります。

この記事を読んで、「面白い物語を書くにはギャップを作れば良いんだな」と思う人がいるかもしれませんが、展開にギャップを持たせれば良いと思われないようにご注意ください。

この問い掛け、答えはこれ以上無く簡単なのです。

心を動かしたいのならキャラクターの心を動かしまくれば良いのです。

笑ったり泣いたり怒ったり困らせれば良いのです。ただし本気で、ダイジェストにせず。キャラクターが本気で動けば、読んでくれる人も本気になる。「主人公」に感情豊かな人物が多いのも、そういう事なのでしょう。

とても理論としては簡単であり、しかし奥深く、難しいところです。そううまく、違和感なく、キャラクターの心を動かしまくれるものなのか?

そのための「展開」です。

物語の「うまさ」はそこにあります。わたしは、物語がうまい人とは、展開運びがうまい人のことだと思っています。作品のプレゼンでよく見る、いわゆるキャラクターの魅力も、そこに繋がってきます。

 

しかし。

先程、「事象はすぐに説明出来る」と話しました。そう、事象はいついかなる時でも、「○○が起こった」と書けば成立します。

成立はします。そして、展開とは事象の積み重ねです。うまく心を動かせるかは、その簡単に成立してしまうものを、いかにして丁寧に書くかが肝になります。

初めに話しました。人気ゲームは、いかにシステムをわかりやすく理解させ、物語が頭に入ってくるかが分かる。物語とは、物を語って聞かせると書きます。それが聞かせている側に分からなければ、「面白い」と思わないのは当然です。

 

……ここからは、少々所感になりますが。漫画やゲーム、小説など、キャラクターが登場するコンテンツの楽しみ方は多様化しています。

「向こう側に想像の余地を与えるために敢えて多くを語らない」というジャンルも(それを売りにする手法も)確立されています。それを否定する気はありません。

しかしその上で言いたい。敢えての有無は受け手に伝わります。

はっきりと言語化されなくても、確実に心に伝わるものはあります。敢えて語らないのか、初めから用意されていないのか、楽しんでいれば分かります。

物語とは受け手の想像を駆り立てるものではありますが、受け手に設定を任せるものではありません。

わたしはそれを信じています。面白い物語の根底には、「納得」がある事を。

 

長くなってしまいましたが、これからも物語を楽しみ、楽しんで書く人間でありたいと思います。以上、お疲れ様でした。