次は戦場で会いましょう

かんがえたことを書き記す。

旅の扉を叩いてみる。

買い物から帰り、牛乳とオレンジジュースを冷蔵庫にしまった後、スイッチのコントローラーを握りしめてソファの前に座る。ドラゴンクエスト11Sとわたしの繋がりは、今から始まろうとしている。

この、「よし、今からやるぞ」とコントローラーを握る瞬間が、わたしは好きだ。この「よし、今からやるぞ」が面倒で据え置きゲームから離れてしまった人は数多くいるのだろう。わたしもこれが作業が中心のゲームだったら、携帯バージョンにしてプレイしたのだろう。

しかし思いのほか、この「よし、今からやるぞとコントローラーをテレビの前で握り締める」感覚は、意識を変える。背筋を正そうという気になるとでも言うのか。物語への没入感が違ってくるような気がする。あくまでも気分の問題だが。これは、電車とか外ではプレイ出来ないだろうなあ。

 

体験版を選ぶと、あの聞き慣れたオープニングの音楽が、金髪の女の子が奏でる楽器とともに風に流されていく。テレビのスピーカーに乗り、わたしの耳に届く。右下にくっきりと交響楽団の白い文字。

暗く、しかし鮮やかな森。駆け抜ける白い馬。空に浮かぶ思い出を仰ぎながら進む主人公。

記憶の欠片を確かめながら、雄大な大地と空が広がり、物語の始まりを告げる。主人公が高らかに雷の一閃を放ったところで、ドラゴンクエスト11Sのオープニングは終了する。映画の始まりでも見るようだったが、しかし、プレイヤーは今からこの世界に飛び込んでいくのである。楽しみだ。

 

主人公の名前を入れる。いつもゲームで男主人公を使うならこれという名前があるので、それを使った。見慣れた黒い背景に白いウインドウ、選択肢を選んだ時のピロリ、という音。数年前にドラゴンクエストをやったときと、何も変わっていない。形式美と呼べば良いのだろうか。

更にオープニングは進む。どうやら、この体験版は、本編のままをプレイをさせてくれるらしい。製品版を買ったら、その続きから出来るんだとか。

親切というか、太っ腹というか。昔、DSのソフトの体験版をやったら、戦闘の一部を体験させてくれるだけとかだったのになあ。

 

それから1時間、しっかりと目に焼き付けるように、はじまりの村を駆け抜けた。かわいい幼馴染みと、そのペットを連れて、魔物と戦う。覚えたての呪文をボスに使ってみる。女の子が後ろから応援してくれる。苦難を乗り越え、神聖な儀式を終え、そして驚きの告白を母から告げられる。

16歳の旅立ち。これを聞いてドラゴンクエスト3を連想した人が、一体どれだけいるのだろう。わたしのかわいい○○、と起こされて、父の仇討ちに行くあの話を。

村の外を走り回ってみると、おおがらすや一角うさぎ、スライムがいた。特におおがらすは、3の町の外にもよくいたものだ。確か前は骨を落として攻撃してきたんだったか。新しいゲームをやっているはずなのに、懐かしさを感じさせる。登場人物やグラフィックは新しいはずなのに、当時のモンスターは生き生きとプレイヤーに向かって容赦なく飛び込んでくる。

 

荒くれや神父さんのリアルな造形は、ドラゴンクエスト8で見たままだ。緑や洞窟の質感は更に増している。古きと新しきが同居した世界。

たたかうのコマンドウインドウは昔のままだが、攻撃をするとき主人公がボイスをしゃべる。ふっ、とか、はあっ、とか、掛け声程度だが。

これが案外、攻撃のリアルさのようなものを感じて、良い。掛け声があるだけで、初めに主人公が覚える呪文にも、現実味を帯びる。そして掛け声程度以外のことを話さない主人公も、またドラゴンクエストの形式美である。

進化した景色を眺めながら、形式美を味わう。とりあえず、ドラゴンクエスト11Sの楽しみ方は、これでいこうと思う。

 

ここまで読んでいただきありがとうございます。

馬に乗り、大きな街に着きました。大きすぎて探索でひいこら言ってます。