次は戦場で会いましょう

かんがえたことを書き記す。

曲がりくねった分かれ道の中で

台風など存在しなかったように晴れ渡った空の下通勤してきました。好母ひおりです。自然災害の多さは誇れるものではないけれど、その対処法を知っているのは武器になりえることだと感じます。

 

さて、少し更新の日が空きましたが、何をしていたかというと、新生活の準備でドタバタしていました。生活環境の違いに身体が蝕まれ、倒れそうになりながらもどうにかこうにかしてた訳です。共働きで料理も作れてお風呂も沸かせる人は生活のコツを教えてほしいです。

 

そして、もうひとつ、大きな分かれ目がやってきました。このブログは元々「病み備忘録」を書くために設立し、その記事の中に「時が来たらお暇させてもらう」とも書いたのですが、その時が来ました。

次にどうするかはまったく決まっていません。新しい生活に慣れないままにそうなったりしたので、公私共に激動過ぎる日々を過ごしているのが現状です。

前に「ライターになりたいな」ということを言ったと思いますが、それが夢のまま終わるか、夢にならずに実現するか、別の形に変わるのか。選択肢はわたしの手の中にあります。生かすも殺すもわたし次第です。

 

そうなったとき、考えるのは、己の文章で食べていくということについて。無償で綴っていたこの文章に、お金という価値が付けられるかということについて。

お金が発生するということは、自分に何かしらの魅力がなければ読んで貰えないようになります。もしかしたら興味のあるテーマで引きつけて読んでもらえるのかもしれませんが。

あちこち思いついたことだけを綴ってきた好母ひおりという人間に、ネームバリューはほぼないと思っています。

いや、それでもやらねばならぬという気持ちと、無理なのではという気持ちが、今火花を散らしている最中です。そんなことを考えながら生活していると精神はすり減る一方です。身体の危険信号を感じつつ動いています。

 

生きるのは難しい。素直に生きることの難しさを、身に染みて実感しています。この実感はやがて何かの糧になることを信じながら、痛みを味わっています。

ただ、何も悩まずに生きるというのも、それはそれでつまらない。なぜなら、空っぽになって生きたところで、何も生まれないし、思い出も増えないのだから。

 

難しいを楽しいに思えるまで。今がおそらく踏ん張りどころなのでしょう。

とりあえず、今すべきことは、次の仕事を探したり、退職後の手続きを考えるより、心を素直な方向に整えることだ。それだけはなんとなく、誰に教えられるでもなく、感覚として分かるよ。

 

ここまで読んでいただきありがとうございます。

自分の人生を素直に生きることが、わたしの目標なのかもしれません。