道半ばの躓きに
驚いたことに、病み備忘録のときの病気が、再発してしまった。
いや、厳密に言えば、「ぶり返し」ではない。前とはまた違う環境になって、新しいこと、初めてのことが、津波のように、どおっと轟音を立てて流れ込んできた。わたしの周りにごたごたと物を置いて、言葉を置いて、必死になりながら退かしているうちに、その場にばたりと倒れ込んでしまった。すごくぼんやりとした語り方をすると、そういう感じです。
ぷつりと。糸が切れてしまった。活動の糸と言うのだろうか。気力の糸と言うのだろうか。がんばるぞと思うと身体が震えるようになってしまった。これは困った。
1週間前まで、引っ越し疲れだとばかり思っていた。
はじめに、朝に吐き気が来るようになった。引っ越し疲れで、身体が慣れていないだけだとごまかした。翌日会社に行くと、新しく任された、慣れない業務が身体を刺す。家のことや将来のことが頭に過り、目の前のことがぼやけて見えるようになった。
次に耳鳴りが来るようになって、理由のない不安に、デスクでむしょうに泣きそうになるようになった。あ、これはまずいと、前の経験からそう思った。この状態になってくると、おそらくは悪い方向に転がっていくばかりだ。嫌な予感が、するぞ。
これはあの時と同じかもしれないと、心のどこかで感じ始めた。それでも、今月末になれば、一息つける。今月末になれば良い。今月末まで身体が耐えれば……と奮い立たせた。何なら今週末になれば3連休だし、そうなれば休める。休める、休める……と、己に暗示をかけるように言い聞かせた。
そして昨日。おそろしいことに、空腹感を感じなくなってしまった。
食べても食べなくても、飲んでも飲まなくても、今自分がお腹が空いているのか空いていないのか、まったく分からなくなってしまった。道端に青々と茂る木や草に目を向ける余裕も、だんだんとなくなってしまった。視界がだんだんと閉じていく。頭の半分くらいが、黒く塗りつぶされていく。
本当に、このくらいの時期になると、異常に物忘れが激しくなったり、簡単な計算が出来なくなったり、脳が麻痺をしている感覚に陥る。わたしはまだ軽いが、うつとは、気分が沈むだけの病気ではないのだ。いつかの気力に溢れている自分のやり方を忘れてしまい、しかしいつかの自分に夢を見てしまい、現実の自分に絶望してしまう。
「うつのひとにがんばれを言ってはいけない」は、そういうことなのだろう。いつかの自分に「頑張った」結果戻れるのならば、そもそも病気になったりしていない。戻れないことに一番苦しんでるのは本人だ。
そんな時に、彼氏さんはわたしに言った。
「診断書もらって休むことって出来ないの?」
あ。
目から鱗と涙が一緒に落ちるようだった。
耐えることに夢中で。過ぎゆく時間を待つのに夢中で。
わたしはまた、自分から行動を起こすということを、忘れてしまっていたらしい。自分から辛いのだと声を上げることを、すっかりと忘れていた。
でも、今の仕事進捗が遅れていて……。今休むともっと遅れちゃって……。向こうの人にも迷惑がかかってしまうから、明日は行かなくちゃ、せめて明日は……。
「仕事よりもひおりちゃんの体調の方が大事だよ」
「辛いなら無理しないで休んでも良いんだよ。仕事よりもって言うと怒られるかもしれないけど、体調の方が大事っていうのはみんな分かってると思うし」
それでも、と言い掛けて、わたしはある重大なことに気付きました。
仮に、頑張って会社に行ったところで。また目の前のことに集中出来ず、時間を無駄にしてしまうだけなのではないか。
いつの間にか、わたしは「会社で仕事をする」のではなく、「会社で仕事に耐える」ことを目標にしていました。神経をすり減らすことをただただ自分の身体にたたき込もうとしていたのです。
思い切って、休むことに決めました。今行ってもまったく仕事が進むイメージが沸かなくなってしまったので、もうきっぱりと、今日、これ以上は無理だと言ってしまいました。
精神科に行きました。前と同じ病名の診断書をもらいました。
すぐに彼氏さんに連絡を入れました。
「じゃあ、半月は安静だね。お家でゆっくりしてね!」
ああ、前と違うのは。実家で同じ病気になった前と、明らかに違うのは、ここだ。
心から、そう感じた。同時に、この家に居る限りは、何度だってやり直せる。ベッドの上で動けない全身を横たわせながら、そう思った。
彼のためなら、「頑張らなきゃ」じゃなくて、「頑張ってみよう」と思える。彼は「無理しないでね」と言ってくれるのだけれど、彼のためにやり直したいと思える。
一番ありがたかったのは、「こうすれば良かったのに」という、アドバイスのように見えて今のわたしには責め立てられる言葉を、彼氏さんはまったくかけて来なかったことです。
反省することは大切だけど、もう少し元気になったら、自分でします。なので今は、少し休ませてほしい。
言わずとも伝わったのかは分かりませんが、今、少なくとも絶望ではなくて、彼と会えて良かったという幸運を噛みしめられています。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
病み備忘録第二章が始まりそうですね。何を書こうかな。