次は戦場で会いましょう

かんがえたことを書き記す。

心の健康と空き時間のはなし

休暇をもらってから1週間ほど経ちました。ごくごく最近になってようやく、「空き時間」というものが認識できるようになってきた。

と言うのも。これは自分の経験の話だけども、精神的に疲れている時、いわゆる病みかけている時というのは、「暇な時間」が一切ないのだ。「空き時間」の概念が頭から消えているのだ。

 

暇な時間がないと言うと、「常に忙しい人」というイメージがあると思う。しかしそれは少し違う。もっと正確に言うならば、「心を休める時間がない」のだ。

休暇をもらってしばらくしてからも、わたしは「こんな大事な時に休んで良いのだろうか」と、ソファに座りながら不安に駆られていた。ゆっくり休むという行為が心を蝕むようになってきたら、とても危ない。「9月末には仕事を辞めるし、この時間を利用して仕事探した方が……」「あと掃除もしなきゃ、段ボールも片付けないと……」これこそが心が疲れていることのしるしだと、今はようやく感じることが出来てきたのだが、当時はそんな心の整理すら出来なかった。

 

前の記事に、「人は病んでくると好きなことに興味がなくなってくる」と書いたことがある。これも、置き換えてしまえば「好きなことを楽しむ時間がなくなり、結果的にそれから遠ざかってしまう」とも言えるのだ。

部屋の様子に例えると分かりやすいかもしれない。心が健康な人は、適度に心の掃除をして、空いたスペースを作ることが出来る。そのスペースを利用して、自分が楽しむための道具を置いたり、ゆっくりくつろぐための布団を敷いたり出来る。

しかし頭の中があらゆる思考でいっぱいになったりして、頭の中が忙しい人は、だんだん心が不健康になっていく。部屋は散らかり、いらないものが置いてあっても、それを掃除する余裕もない。それどころか、自分の部屋の存在すらも置いておいて、別のなにかに打ち込んでしまう。

そんな人が、娯楽を気に掛けることが出来るはずがない。娯楽に身を浸からせようと足を入れた途端に、「あ、あれしなきゃ」「こんなことしてる余裕なんてない」と足を引っこ抜いてしまうからだ。

休むことのない激務に心は疲れ……と負のループに陥ってゆく。「ストレス解消の手段があるのは大事」というのは、つまりそういうことなのだろう。

 

どこかで、「真面目な人ほど心が病みやすい」と聞いたことがある。これも、上の現象が当てはまる。

真面目な人ほど、「休んでなんていられない」という思考になってしまいやすい。休憩することに対して不器用な人が多いからだ。これに加えて「息抜きをすることはサボりだ」という価値観を持ってしまえば、もしくはそう思うようになってしまってきていれば、それはすごく危ない状態だ。

これは己に対してもだが、他者に対しても。何もお茶を飲んだりトイレに行ったりご飯を食べたりすることは、悪いことではない。疑ってしまう自分の心は疲れているのだと思い直すことも、心の健康には必須だろう。

 

心は管理するものだ。空き時間とは、健康な心がつくりだすものだ。その空き時間で何をするかも、健康な心があってこそ、考えられる。備忘録としてここに残しておこう。

 

ここまで読んでいただきありがとうございます。

「忙しい、忙しい」とせわしなく動いている人にも、空き時間は存在する。